いことだな。……で、敵は何者だな?」
「さあそれが解っておりさえしたら、こんな苦労は致しませぬ」
「父を討たれたはいつ頃だな?」
「五年前の極月《ごくげつ》二十日、初雪の降った晩のこと、霊岸島の川口町で無尽に当たった帰路《かえりみち》を、締め殺されたそのあげく河の中へ投げ込まれ、死骸の揚がったはその翌日、その時以来家運が傾き質屋の店も畳んでしまい、妾《わたし》はこうして遊女勤め、悲しいことでござります」
 涙の顔を袖で抑えお米は甚内の膝の上へとん[#「とん」に傍点]と体を投げかけたが、とたんに襖が断りもなくスルリと外から開けられた。

        五

「誰だ!」
 と甚内が振り返る。
「声も掛けず開けましたはとんだ私の不調法、真っ平ご免くださいますよう」
 こう云いながら坐ったのは、甚内よりも十歳ほど更けた四十五、六の立派な人物、赧ら顔でデップリと肥え、広袖姿がよく似合う。
「ま、お前はご主人さん。それでは妾《わたし》は座を外し」
「うん、そうさな、では少しの間、座を外して貰おうか」
「はい」と云って出て行くお米、主人庄司甚右衛門はスルスルと前へ膝行《いざ》ったが、
「客人、いやさ勾坂甚内、大泥棒にも似合わねえドジな真似をするじゃねえか」
 両手を袖へ引っ込ませると、バラバラと落ちて来た小判|幾片《いくひら》。甚内が蒔いたさっきの小判だ。
「黒田様の刻印が打ち込んであるのが解らねえか」
「え?」
 と甚内は今さら驚きムズと小判をひっ[#「ひっ」に傍点][#「小判をひっ[#「ひっ」に傍点]」は底本では「小判をひ[#「をひ」に傍点]っ」]掴んだ。いかにも刻印が押してある。
「むう」と唸るばかりである。
「なんと一言もあるまいがな。さあ早く仕度をするがいい。大門口は出られめえ。家《うち》の裏木戸を開けて進ぜる」
「そう急《せ》き立てるところを見ると、さてはもう手が廻ったか!」
「徒党を組んだ盗賊が黒田様の宝蔵を破り莫大の金子を奪ったについては、晩《おそ》かれ早かれここら辺りを徘徊するに相違ないから、怪しい者の目付かり次第届け出るようにと布告《ふれ》の廻ったはつい[#「つい」に傍点]今日の昼のこと、したがってこの辺一円は同心目明しの巣のようなものだ。のっそり[#「のっそり」に傍点]迂濶《うかつ》に出ようものなら、すぐに御用の声を聞こう。まあ俺に従《つ》いて来な、悪いようにはしねえ意《つもり》だ」
「ふうむ、それにしてもこの俺を、勾坂甚内と見抜いたは?」
「黒田の邸へ押し込んで、宝蔵でも破ろうというものは三甚内の他にはねえ。……ところで三人の甚内のうち二人までは足を洗い今は素人になっている筈だ。残るは勾坂甚内だけ。その勾坂こそすなわちお前よ。宝蔵破りのその翌晩、盗んだ金を懐中にして、遊里へ姿を晒そうとする大胆不敵のやり口は、その他の奴には出来そうもねえ」
「ううむ、そうか、いや当たった。いかにも俺は勾坂だ。勾坂甚内に相違ねえ。さあこう清く宣《なの》ったからには、お前も素性を明かすがいい」
「もうおおかたは察していよう。俺こそ庄司甚内だ」
「それじゃやっぱりそうだったか。もしやもしやと思ってはいたが、そう明瞭《はっきり》と宣られると、なんだか変な気持ちがするなア。――これが懐しいとでも云うのだろうよ」
「おい勾坂の」と声を忍ばせ、一膝進み出た甚右衛門は、グイと顔を突き出したが、「この顔見覚えがあろうがの?」
「え?」と甚内は眼を見張る。と、彼は愕然とした。「……うむ、そういえば頬の上に古い一筋の太刀傷がある! ……お、あの時の船頭だ」
「それでもどうやら気が付いたらしい。いかにもあの時の船頭だ。……お前あの時罪もねえ可哀そうな老人《としより》を締め殺したっけのう」
「殺すつもりはなかったが時のはずみ[#「はずみ」に傍点]で力がはいり殺生なことをしてしまった」
「その老人の一人娘がお前の馴染のあのお米よ」
「それとも知らぬお米の口からたった今聞いて驚いたところさ」
「枕交わすが商売とは云え、親の敵と馴染むとは……」
「知らぬが因果の畜生道さ」
「お米にとっては尽きぬ怨み……」
「俺にとっては勿怪《もっけ》の幸い」
「おい、勾坂の、どうするつもりだ?」
「お米が俺を討つ気なら宣《なの》って殺されてやるつもりよ。が、討つ気はよもあるめえ。二世さえ契った仲だからの。二世を契れば未来も夫婦! 俺を殺せば良人《おっと》殺しだ!」
「あっ!」
 と魂消《たまげ》る女の声が隣りの部屋から聞こえて来た。
 二人一緒に立ち上がり颯と開けた襖の彼方《かなた》に伏し転《まろ》んでいるのはお米であった。
「や、お米、咽喉《のど》突いたな!」
「傷は浅い! しっかりしろ!」
 左右から抱かれて眼をひらき、
「親方さん、おさらばでござんす」
 甚内の顔を見詰めな
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