右衛門の甚にも心を引かれ、勾坂甚内はずっと以前《まえ》から甚右衛門の楼の馴染《なじみ》とし、この里へ来るごとに立ち寄っていたが、心中では一度甚右衛門に逢って見たいと思っていた。
「庄司甚内と庄司甚右衛門。どうも非常に似ている名前だ。と云って泥棒の庄司甚内が足を洗って遊女屋になり廓中支配役になるようなことは絶対にあるべき筈はないし、もしまたそれがあったにしても、自分は賊であった庄司甚内をかつて一度も見たことがないから、たとえ顔を合わせたところでそれと知ることは出来そうもない」――勾坂甚内はこう思いながらも折りがあったら逢って見たいとやはり思ってはいるのであった。

        四

 長い暖簾《のれん》をひらりと刎《は》ね甚内は土間へはいって行った。
「いらっしゃいまし」と景気のよい声、二、三人バラバラと現われたが、
「お、これは白須賀様、ようおいでくだされました。さあさあ常時《いつも》のお座敷へな、お米さんがお待ち兼ねでござんすに」
 白須賀は甚内の変名である。盗んだ金だけに糸目をつけず惜し気なくパッパッと使うのでどこへ行ってもモテルのであった。通された常時《いつも》の座敷というは、この時代に珍らしい三層楼で、廓内の様子が一眼に見える。
 やがて山海の珍味が並ぶ。
 山海の珍味と云ったところで、この時分の江戸の料理と来ては京大坂に比べて、不味《まず》さ加減が話にもならぬ。それでも渦高《うずたか》く鉢皿に盛られて、ズラリと前へ並べられたところは決して悪い気持ちではない。
 山本|勾当《こうとう》の三絃に合わせて美声自慢のお品女郎が流行《はやり》の小唄を一|連《くさり》唄った。新年にちなんだめでたい唄だ。
「お品。相変わらずうまいものだな……どれそれでは肴せずばなるまい」
 甚内は機嫌よくこう云うと懐中《ふところ》から財布を取り出した。それから座にある誰彼なしに小判を一枚ずつ分けてやった。
「お大尽様! お大尽様!」
 みんな喜んで囃し立てた頃には短かい冬の日がいつか暮れて座敷には燭台が立て連らねられた。
 この時ようやく甚内の馴染のお米女郎が現われた。
 いつも淋しげの女ではあるが分けても今夜は淋しそうに、坐ると一緒に首垂《うなだ》れたが、細い首には保ち兼ねるようなたっぷり[#「たっぷり」に傍点]とした黒髪に、瓜実顔《うりざねがお》をふっくり[#「ふっくり」に傍点]と包ませ、パラリと下がった後《おく》れ毛を時々掻き上げる細い指先が白魚のように白いのだけでも、男の心を蕩《とろ》かすに足りる。なだらかに通った高い鼻、軽くとざされた唇がやや受け口に見えるのが穏《おとな》しやかにも艶《あで》やかである。水のように澄んだ切れ長の眼が濃い睫毛に蔽われた態《さま》は森に隠された湖水とも云えよう。年はおおかた十七、八、撫で肩に腰細く肉附き豊かではあるけれど姿のよいためか痩せて見える。
 お米が座中に現われると同時に、そこに並んでいた女子供は一時に光を失った。ひどく見劣りがするのである。
「お米、機嫌が悪いそうな。盃ひとつ差してもくれぬの」
 甚内は笑いながらこう云った。
「…………」お米は何んとも云わなかったが、その代わり静かに顔を上げ、幽かに微笑《ほおえみ》を頬に浮かべた。
「毎年初雪の降る日にはいつも[#「いつも」に傍点]お米さんはご機嫌が悪く浮かぬお顔をなされます」――お島というのが取りなし顔にこう横から口を出す。
「ふうむ、それは不思議だの。初雪に怨みでもあると見える」――無論何気なく云ったのではあったが、その甚内の言葉を聞くとお米は颯《さっ》と顔色を変えた。
「あい、怨みがありますとも。――初雪に怨みがあるのでござんす」こう意気込んで云ったものである。
 あまりその声が異様だったので一座の者は眼を見合わせた。一刹那座敷が森然《しん》となる。
「ホホ、ホホ、ホホ、ホホ」
 気味の悪いお米の笑い声が、すぐその後から追っかけて、こう座敷へ響き渡った時には、豪雄の勾坂甚内さえ何がなしにゾッと戦《おのの》かれたのである。
 夜が更け酒肴が徹せられた、甚内は寝間へ誘《いざな》われたが、容易にお米の寝ないのを見るとちと不平も萠《きざ》して来る。で、蒲団の上へ坐り、不味《まず》そうに煙草を喫い出した。
「お米」と甚内はやがて云った。「心に蟠《わだか》まりがあるらしいの。膝とも談合ということがある。心を割って話したらどうだ。日数は浅いが馴染は深い。場合によっては力にもなろう。それとも他人には明かされぬ大事な秘密の心配事ででもあるかな?」
「はい」――とお米は親切に訊かれてついホロホロと涙ぐんだが、
「お父様の敵《かたき》が討ちたいのでございます」
 一句凄然と云って退けた。
「む」と、甚内もこれには驚き、思わず声を詰まらせたが、
「おおそれは勇まし
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