質一方の構えである。
 相手の男はそれに反してまるで剣術など知らないらしい。身の軽いを取り柄にしてただ翩翻[#「翩翻」は底本では「翻翩」]《へんぽん》と飛び廻るばかり[#「ばかり」は底本では「だかり」]だ。ただし真剣白刃勝負の、場数はのべつ[#「のべつ」に傍点]に踏んでいるらしい。その証拠には勝ち目のないこの土段場に臨んでもびく[#「びく」に傍点]ともしない度胸で解る。
 じっと[#「じっと」に傍点]二人は睨み合っている。
 初太刀の袈裟掛け、二度目の突き、三度目の真っ向拝み打ち、それが皆《みんな》外されたので武士は心中驚いていた。
「世間には素早い奴があるな。それにやり方が無茶苦茶だ。喧嘩の呼吸《いき》で来られては見当が付かず扱かいにくい。草履を眉見に投げ付けられたでは俺の縹緻《きりょう》も下がったな。……不愍《ふびん》ながら今度は遁がさぬぞ」
 独言《ひとりご》ちながらつと[#「つと」に傍点]進んだ。相変わらず左手は遊ばせている。
「へ、畜生、おいでなすったな」
 此方《こなた》、男は握った匕首《あいくち》を故意《わざ》と背中へ廻しながら、ひょいと[#「ひょいと」に傍点]一足退いた。
「いめえましい三ぴんだ。隙ってものを見せやがらねえ。やい! 一思いに切ってかからねえか!」
「えい!」
 と初めて声を掛け、右手寄りにツツ――と詰める。
「わっ、来やがった、あぶねえあぶねえ」
 これは左手へタタタと逃げる。逃がしもあえず踏み込んだが同時に左手が小刀へ掛かると掬い切りに胴へはいった。血煙り立てて斃《たお》れたか! 非ず、そこに横たわっていた老人の死骸へ躓《つまず》いて頬冠りの男は転がったのである。
「まだか!」と武士は気を焦《いら》ち右剣を延ばして切り下ろした、溺れる者は藁《わら》をも握《つか》む。紙一枚の際《きわ》どい隙に金剛力を手に集め寝ながら抱き起こした老人の死骸。すなわち楯となったのである。
「えい、邪魔だ!」
 と足を上げ武士は死骸をポンと蹴る。二つばかり転がったが、ゴロゴロと河岸の石崖伝い河の中へ落ちて行った。パッと立つ水煙り。底へ沈むらしい水の音。……その間に男は起き上がると二間余りも飛び退ったが、手には印籠を握っている。倒れながら拾った印籠である。
 その時であったが水の上から欠伸《あくび》する声が聞こえて来た。続いて吹殻《ほこ》を払う煙管《きせる》
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