人殺しだア!」
 咽喉《のど》を絞って叫ぶのであった。
「えい、これほどに申しても理不尽に高声を上げおるか! 黙れ黙れ黙れと申すに!」
 首根ッ子を引っ掴みグイグイ二、三度突きやった。
「ひ、ひ、人殺しイ……」
 まだ嗄れ声で喚《わめ》きながら両手を胸の辺で泳がせたが、にわかにグタリと首を垂れた。
 驚いて武士は手を放す。と、老人は俯向けに棒を倒すように転がった。
「南無三……」
 と云うのも口のうち、武士は片膝を折り敷いて、老人の鼻へ手をやったが、
「呼吸がない」と呟いた。グイと胸を開けて鳩尾《みぞおち》を探る。その手にさわった革財布。そのままズルズルと引き出すと、まず手探りで金額《たか》を数え、じっとなって立ち縮《すく》む。
「ふふん」
 と鼻で笑った時には、ガラリ人間が変わっていた。
「飛び込んで来た冬の蠅さな。死《くたば》ったのは自業自得だ。押し詰まった師走《しわす》二十日に二十両たア有難え」
 ボーンと鐘の鳴ろうと云うところだ。凄く笑ったか笑わないか、おりから悪い雪空で、そこまでは鮮明《はっき》り解らない。
 スタスタと武士は行き過ぎようとした。
「お武家様!」
 と呼ぶ声がする。ギョッとして武士は足を早める。
「お待ちなせえ!」と――また呼んだ。
 無言で振り返った鼻先へ、天水桶の小蔭からヒラリと飛び出した男がある。頬冠《ほおかぶ》りに尻端折《しりはしょ》り、草履は懐中へ忍ばせたものか、そこだけピクリと脹れているのが蛇が蛙を呑んだようだ。
「身共《みども》に何ぞ用事でもあるかな?」
 しらばっくれて[#「しらばっくれて」に傍点]武士は訊いた。
「ふてえ[#「ふてえ」に傍点]分けをおくんなせえ」頬冠りの男は錆《さび》のある声でまず気味悪く一笑した。
「なるほど」
 と武士もそれを聞くと軽い笑いを響かせたが、
「いや見られたとあるからは、仲間の作法捨てては置けまい」
 云い云い懐中へ手を入れると、しばらく数を読んでいたが、ひょいと抜き出した左手には、十枚の小判が握られていた。
「怨恋《うらみこい》のないようにと二つに割って十両ずつさあやるから取るがいい」
「え、十両おくんなさる?」さもさも感心したように、「いやもくれっぷりのよいことだの。それじゃ余《あんま》り気の毒だ」
 さすがに尻込みするのであった。

        二

「なんのなんのその斟酌《しんし
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