首頂戴
国枝史郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)裲襠《かいどり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)駕籠|舁《かき》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)角ばった※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]に
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     一

 サラサラサラと茶筌の音、トロリと泡立った緑の茶、茶碗も素晴らしい逸品である。それを支えた指の白さ! と、茶碗が下へ置かれた。
 茶を立てたのは一人の美女、立兵庫にお裲襠《かいどり》、帯を胸元に結んでいる。凛と品のある花魁《おいらん》である。
 むかいあっているのは一人の乞食、ひどい襤褸《ぼろ》を纏っている。だが何んと顔は立派なんだろう! ムッと高い鼻、ギュッと締まった口、眼に一脈の熱気がある。年輩は二十七、八らしい。
 茶碗を取り上げるとキューッとしごき、三口半に飲んで作法通り、しずかに膝の先へ押しやった。
 茶釜がシンシンと音立てている。香爐から煙が立っている。だがその上を蔽うているのは、莚張りの蒲鉾小屋、随分穢い、雨露にうたれたのだ。
 春三月、白昼《まひる》である。
「ここへ住んで一月になる、大分評判も高まったらしい」こういったのはその乞食。
「其方にも再々厄介になった」
「よい保養を致しました。妾《わたし》こそご厄介になりました」こういったのは花魁である。
「保養か、成ほど、そういえるな。いや全くいい景色だ。菜の花、桜、雲雀の唄、街道を通る馬や駕籠、だがこの景色とも別れなければなるまい」
「あの然うして妾とも」
「うむマァざっと然ういうことになる」
「お名残りおしゅうございます」
「泣きもしまいが、泣いては不可ない」
「泣けと有仰るなら泣きますとも、泣くなと有仰れば耐えます」
「祝って貰わなければならないのだよ」
「では笑うことにいたしましょう」
「ナニサ故意とらしく笑わないでもよい」
「では無表情でおりましょう」
「そいつだ」と乞食微笑した。「ああそいつだよ。無表情がいい。……墨をお摩り、何か書こう」
 蒔絵の硯箱が側にある。その横に短冊が置いてある。
 乞食スラスラと認《したた》めた。
「読んでごらん唐詩《からうた》だ」
「風蕭々易水寒シ」
「壮士一度去ッテ復還ラズ」
 膝元に青竹が置いてある。取り上げた乞食、スッと抜いた。
「怖くはないかな、村正だ」
 春陽にぶつかって刀身から、ユラユラユラユラと陽炎が立つ。
「怖いお方もございましょう、妾は怖くはございません」
 乞食、刀を見詰めている。
「鍛えは柾目、忠の先細く、鋩子《ぼうし》詰まって錵《にえ》おだやか、少し尖った乱れの先、切れそうだな、切れてくれなくては困る」
 ソロリと納めると膝元へ置いた。
「華やかな行列が通るのだ。ああ然うだよ、江戸へ向かってな。が、ナーニ見たようなものだ。遣り損なうに相違ない。相手はあれ程の人物だからな。そこへこの俺が付け込むのだ。と、村正が役立つのよ」
 春の日がだんだん暮れようとする。
 街道を通る旅人の足が、泊りを急ぐのかあわただしい。

     二

「ほほう不思議な乞食だの」こういったのは総髪の武士。「淀川堤の蒲鉾小屋でな?」
「茶を立て香を焚き遊女を侍らせ、悠々くらしておりますそうで」こういったのは頬髯の濃い武士。「しかも素晴らしい名刀を所持しておるとかいうことで」
 大坂心齋橋松屋という旅籠、奥まった部屋での話しである。
「で、貴公、どう思うな?」
 こう訊いたのは総髪の武士、相手を験《ため》すらしい口調である。
「さよう」といったのは頬髯の濃い武士。「由縁ある武士が乞食に窶し……」
「親の仇でも討とうというので?」
「いかがかな、この見立ては?」
「どういうところから思い付かれたな?」
「名刀所持とあってみれば……」
「だが時々その名刀を、スッパ抜いて見るというではないか」
「それが何とか致しましたかな?」
 総髪の武士笑ったが、「目付かる敵でも逃げてしまうよ」
「ははあ」といったが解らないらしい。
「俺は敵討ちだ敵討ちだ、披露目をしているようなものだからの。だって貴公そうではないか」総髪の武士ニヤニヤと揶揄《やゆ》するようにいい出した。「蒲鉾小屋に住んで、襤褸を着て、名刀を所持してスッパ抜く、ちゃァんと敵討ちに出来ている。そんな噂を耳にしてごらん、狙われている敵は飛んでしまうよ。そうでなかったら衆を率い返討ちにして殺してしまうだろう」
「成程」と今度は判ったらしい。「敵討ちでないとしますると、何処かの大通が酔興のあまり……」
「その見立ても中《あた》らないな」総髪の武士蹴飛ばしてしまった。「いかさま茶を立て遊女を侍らせ、香を焚きなが
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