じんの脈膊はというと、どうやら乱れ勝ちでございました。ハハア心臓がお悪いな。その時私は思いましたので」
「おっしゃる通りでございます」夫人は憂わし気に云ったものである。「印度から故郷へ帰りましたのも、その病気のためでございました」
「ところで目下のご容態は?」
「危険というほどではございませんけれど……医者が私に申しますには、もう一度こんなような驚愕《おどろき》を――神経と心臓とをひどく刺戟する病気に大毒な驚愕《おどろき》を最近に経験するとなると、生命《いのち》のほども受け合われないなどと――あるいは脅かしかも知れませんけれど……」
「ははあそのように申しましたかな?」
 レザールは黙って考え込んだ。わずかに開けられた窓の隙から春の迅風《はやて》に巻きあげられた桜の花弁《はなびら》が渦を巻いて、洋机《テイブル》の上へ散り乱れていたが、ふたたび吹き込んだ風に飛ばされどこへともなく舞って行った。
 隣室で時計が十一時を報じ、なま暖かい春陽《はる》の光が洪水のように室に充ち窓下の往来を楽隊が、笛や喇叭《ラッパ》を吹きながら通って行くのも陽気であった。
 夫人は深い吐息をして、
「そういう訳で
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