は、悉《ことごと》く扉を開け放され忙しそうに働く店員達の小綺麗な姿が見えている。上海棉花公司とか、広徳泰|軋《れき》花廠とか、難解の文字の金看板が、家々の軒にかかっていて、夕陽にピカピカ光っている。九江路《キウキャンルー》を右に曲がり、福建路《フウキンルー》を行き尽くし、それから初めて仏租界へ、ラシイヌはゆっくり足を入れた。
 英租界の繁華に比較しては、仏租界の方はやや寂しく、その代り上品で粋であった。紳士と連れ立った淑女達や、大きな金剛石《ダイヤ》の指輪を飾った俳優じみた青年や、翡翠《ひすい》の帽子を戴いて、靴先に珠玉《たま》をちりばめた貴婦人などの散歩するのに似つかわしい街の姿である。
 ラシイヌは静かに歩きながらも、左右に鋭く眼を配って、全身の注意を耳に蒐《あつ》め、ある唄声を聞こうとした。しかし唄声は聞こえない。足音や話し声や笑い声や、器物の動く音などは、行く先々で聞こえてはいたが、聞こうと願う唄はどこからも聞こえては来なかった。ラシイヌは仏租界を歩き尽くし、しばらくそこで躊躇したが、やがてグルリと大迂回をして米租界の中へ進んで行った。
 仏租界ほどの品もなく、英租界だけの規律
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