暗殺を「第二獣人事件」と云っている――探検隊を組織したという噂を知ったので、途中に迎えて水晶球を奪い取ろうと思いつきエルビーを汽車まで向かわせたのじゃ。お前の邪魔でこの企ては到頭失敗したけれど、邪魔をしたお前が味方となり、白人達の奪い取った水晶球をまた奪って緑地《オアシス》へもたらせてくれたからには、恩こそあれ恨みはない……ところでお前は支那人だのにどういう理由《わけ》で白人達の探検隊に加わったのか?」
 老人は不思議そうに私を見た。それで私は私自身のこれまでの経歴を物語った。老人は黙って聞いていたが、
「お前は回鶻《ウイグル》語が読めるのか? 袁世凱《えんせいがい》のくれたという手箱の中の羊皮紙をどうしてお前は読んだのじゃ?」
「鉄の手箱には原文と一緒に訳文がはいっておりました。袁世凱の勢力で回鶻《ウイグル》語の学者を呼びよせてひそかに訳させたのかもしれません」
 老人はなるほどと頷いて、それっきり何んにも云わなかった。

 翌日私達は家を出た。十里の道を二日かかってロブノール湖まで歩いて行った。既に土人が用意して置いた獣皮の小船が湖の岸に音もなく静かに浮いていた。三人はそれへ飛び乗った。巧みに老人が櫂《かい》を漕ぐ。
 老人は漕ぎながら話し出した。老人の言葉をエルビーが仏蘭西《フランス》語に訳して話してくれる。私は傾聴するばかりだ。
「伝説によれば」と老人は云った。「数千年の昔において今度の事件は予言されていた。水晶球の雄《おん》の球は白人によって奪い去られ黄色人によって取り返さるべしと。そしてもう一つ伝説によれば一旦白人に渡った球は後に残っている雌《めん》の球と共にロブノール湖の水で洗浄されると。だから球を二つとも箱に入れてここへ持って来た。もう一つ最後の伝説によると、失われた球を取り返した人は、アラ大神の祝福を受けて地下に尚生きて働いている回鶻《ウイグル》人を見ることが出来、彼らの都会へ行くことが出来、そして都会へ行きついた時雌雄の球の奇蹟によって古代|回鶻《ウイグル》人の埋没した巨財の所在《ありか》を知ることが出来ると。で今吾らは伝説通りロブノール湖に浮いている。奇蹟があらわれるに違いない」
 老人は厳かに云い放すとじっと湖水を眺めやった。
 冬の真昼の陽に輝いて、周囲一里ほどの湖は波穏かに澄んでいる。空を行く雲も鳥影も鏡のように映って見え、日光を吸って水の中は黄金のように輝いている。
 老人は二つの箱を出して、湖水の水を注ぎかけた。そして大神を讃え出した。
「アラ、アラ、イル……」と熱心に。
 動くともない湖水の水がその時渦を巻き出した。渦の中心に船がある。船が急速に廻り出した。と、砂山の一方の岸が見る見る崩れてその跡へ洞窟のような穴があいた。水がその洞へ流れ込む。いつしか船も流れ込んだ。忽然と四辺《あたり》が暗くなり一筋の陽の光も見えなくなった。エルビーが私に縋りつく。老人は闇の中で祈っている。
「アラ、アラ、アラ、アラ、アラ、アラ、イル……」
 船はずんずん流れて行く、地下の水道を矢のように……(備忘録下略)

        九

「張の姿が見えないぞ!」
 朝早くレザールが叫び出した。マハラヤナ博士もラシイヌもその声に驚いて飛び起きた。沙漠の暁の薄光が天幕《テント》の中へ射している。彼らは真っ先に球を納《い》れた鉄の手箱をさがしたが、その影さえも見えなかった。一行三十人の人々は手を分けて張を探したがどこにも姿は見えなかった。みんな絶望して溜息をついてそして沈黙に落ち入った。
「信用したのが悪かったね。今さら云っても返らないが」ラシイヌの声は憂欝だ。
「彼奴《きゃつ》はいったい何者だろう? 仏蘭西《フランス》語が出来て英語が出来て料理が上手で度胸がある。西域の地図を持っていた――ただの鼠じゃなかったんだ」レザールの声は泣きそうだ。ひょうきん者のダンチョンさえ黙って地面を見つめている。
 しかしいつまでそうやっていても張の出て来るきづかいはないので、またも一同立ち上がって彼の行衛をさがしだした。今度は幾組かに組を分け四方へ一度に出て行った。
 ラシイヌと博士との一行は同勢八人が一団となり東北をさして探しに出た。わずか一里ほど行った時意外にも一つの村へ出た。常磐木《ときわぎ》が青々と茂っている、泉が地面から湧き出ている。村には一つの祠《ほこら》があって狛犬が二匹並んでいる。
「ははあ市長が水晶の球と羊皮紙とを発見《みつけ》た祠というのは、ここにあるこの村の祠だな。しかしこんなに手近な所に緑地《オアシス》があろうとは思わなかった。恐らく張の逃げ込んだのもこの緑地《オアシス》に違いない」ラシイヌは心でこう思ったので土人を無理に引っ捕らえ博士の通弁で質問した。
「はい逃げ込んで参りました」冷笑しながら土人は云った。

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