き、肉が尽きると人猿どもは歯をむき[#「むき」に傍点]出して威嚇した。そして私を小屋の方へ遠慮会釈なく追い立てた。それで私はまた空しく小屋へ帰らなければならなかった。
こうして幾日か日が経った。
湖水は依然として空である。水溜りの水も悉く干《ひ》て水草などは大概枯れた。
無尽蔵にいる兎や狐を狩り取ることもいと容易《や》すければ、その肉を燻《あ》ぶることも焼くことも大して手間は取らなかったが、私の目指す森林の奥まで持ち運ぶ方法に苦しんだ。途中で餌物がなくなろうものなら、あの兇暴な人猿どもはまたもや遠慮会釈なく小屋へ追い返すに違いない。これが自分には苦痛であった。
しかし窮すれば通ずという古い諺にもある通り、間もなく私はその困難に打ち勝つ方法を発見した。
荷車を製造《つく》るということである。
なんという容易なことだろう! しかしこうやって思い付いて見ればきわめて容易のことではあるが、思い付くまでの苦心と云ったらまたひと通りのものではない。私はこの事を思い付くや否や嬉しさのあまり雀躍した。
私は焼き肉を褒美にして人猿どもを使用した。彼らは私の命令通りどんなことでもするのであった。彼らの爪は鋸《のこぎり》であり彼らの犬歯《きば》は斧であった。そして素晴らしいその腕力はモーターとでも云うべきであろう。やはり半日とはかからないうちに立派な一個の荷車が出来た。思う仔細があったので、その他に私は一人乗りの筏《いかだ》を一隻|製造《つく》らせた。二本の櫂《かい》も……
それは天気のよい朝であったが、焼き肉を荷車にウンと積み込み筏をその上に引き冠ぶせ、筏の上へは私が乗って、一匹の人猿に車を押させて二度目の旅へ出発した。
人猿は四方から集まって来てひしひしと荷車を取り囲み胡散臭《うさんくさ》い眼付きで私を見た。その時私は一掴みの焼き肉を後方目掛けて投げつけた。これと同時に人猿の群から鋭い叫び声が湧き起こり、続いて格闘が始まった。落ちて来た焼き肉を拾おうとして互いに争っているのである。元来彼らは食物については仲間同志争った例がない。それは彼らの世界とも云うべきこの広大なる原始林の中に無尽蔵に食物があるからであって、彼らは自分の要求に応じて何んでも自由に得ることが出来た。自然競争の必要もなく格闘することもなかったのである。それだのに一度私が現われこれまで一度も味わったことのない、不思議な食物――焼き肉が、私の手によって投げられた。しかもその肉はきわめて美味でその上制限されていて無尽蔵に食うことは出来ないのである。だからどうしても必然的に食物競争が行われる。そこが私の付け目であって、彼らが競争しているうちに荷車を前方へ進めるのであった。
焼き肉――競争――格闘――前進!
日光も透さぬ大森林を荷車はグングン進んで行った。そして朝が昼となりやがて夕暮れが近付く頃、大森林の涯《はて》まで来た。
この森林の果てへ来るのが私の唯一の目的であった。そして森林のこの果てはかつて前方《まえかた》ダンチョンと一緒に道に迷って来た事があった。そしてその時私は見た!
代赭《たいしゃ》色をした平原を! その代赭色の沙漠の中に一筋堤防のあったことを! そして堤防のその上に二頭の狛犬に守られて神の社があったのを!
四十三
そして私は再び同じ所に社《やしろ》んで沙漠を見ようとしているのだ。
しかし私が森林を出て眼を前方に走らせた時、沙漠も堤も狛犬も悉く水に埋ずもれてわずかに社の屋根ばかりが水を抜け出て輝いているのがハッキリ両眼に焼き付いた。まことにそこには沙漠の代りに湖水が漲っているのであった。
しかし私は驚かない、むしろ予期していたことである。
私は荷車へ飛び上がってあるだけの焼き肉をひっ[#「ひっ」に傍点]掴み四方八方へ投げ散らした。そして人猿の叫び声や格闘の響きを後にして筏《いかだ》を湖水へ浮かべたが、二挺の櫂を手に持ってヒラリと筏へ躍り上がり櫂をあやつって辷《すべ》り出た。
筏はずんずん進んで行く。人猿どもは岸に並んで物凄い叫びを上げながら拳を揮《ふる》って打つ真似《まね》をするが、間を大水が隔てているのでどうすることも出来ないらしい。筏はずんずん水を切って社頭の方へ進んで行く。私の胸は期待に充たされ心臓が劇しく鼓動する。
夕陽、微風、波の囁き――湖水の上は涼しくてどのように漕いでも疲労《つか》れない。
筏は社に近寄った。
湖上に出ている屋根の側まで筏が流れて来た時に、そこに一隻丸木舟が纜《もや》ってあるのに気が付いた。それに不思議にも社の屋根に人間が一人はいれるくらいの四角な穴が開いていて垂直に梯子がかかっている。
私はこれを眺めた刹那《せつな》、既に秘密の十分の九まで解決したような気持ちがした。私に何んの
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