マハラヤナ博士は印度人らしい迷信深い眼付きをして、天地を交替交替《かわるがわる》見廻していたが、卒然としてこう云った。
「神の怒りじゃ! 神の奇蹟じゃ! 霊地を我々が穢したため天帝が恐ろしい奇蹟を現わし我々に怒りを示されたのじゃ!」
 するとラシイヌは科学的の冷やかな声でこう答えた。
「神の怒りではありますまい。恐らく奇蹟でもありますまい。彼らが――すなわち、人猿どもが、悪戯《いたずら》をしたのだと思われます。奇蹟ではなくトリックです」
「いやいや決してそんな筈はない」博士は躍起となりながら、「奇蹟でなくて何んだろう? あの大水が見ているうちに行衛知れずになったのは正しく神の奇蹟なのじゃ! 人猿どもに、あんな動物に、これだけの奇蹟が何んでやれよう、――それとも君は水の行衛を説明することが出来るかな?」
「岩です、岩です、この大磐石です! この中へ水は落ち込みました」
「それでは君は岩を砕いて水の在所《ありか》を示すがよい」
「ご覧の通りダイナマイトを掛けても大磐石は砕けようともしない。この大岩さえ砕けましたら水の在所はすぐに知れます」
「いやいや、岩の砕けないのがすなわち神の御心《みこころ》なのじゃ!」
 二人の議論は土人達の間に電光のように拡がった。迷信深い土人達は迷信深い博士の説に一も二もなく同意した。
 そして土人のこの行動が結局大勢を左右してラシイヌ探偵も一行と一緒にこの土地を去らなければならなくなった。そして最初の計画通り濠州を指して第三番目の探検旅行を試みようとサンダカンに向かって引き返した。

 私は蕃地へとどまったが、私の蕃地の生活はかなり不自由で寂しかった。
 私は終日小屋に籠もって計画について考えた。計画というのは他でもない。ラシイヌ探偵の意見と同じく水の行衛《ゆくえ》を探すことであった。
 私は次のように考えた――
 湖水の水が涸れたのは涸らすだけの仕掛けがあったからで決して神秘でも奇蹟でもない。それならいったい何んの理由で湖水の水を干したのか? それは思うに、羅布《ロブ》人の巨財が湖水に隠されてはいないということを、探検隊の人達に証明するためのトリックである。
 それではいったい湖水の水はどこに湛えられてあるのであろう? それこそ私がどんなことをしても探し出そうと決心している大事な計画の一つであって水の行衛が知れると一緒にあるいは羅布《ロブ》人の巨財の在所《ありか》も自ずと知れるようにも思われる。
 私はとにかく何より先に有尾人達の住んでいる森林の中へ分け入って私の疑問を試みようとした。しかし不思議にも人猿どもは、私を絶えず監視して森の奥を訪《おとの》うのを拒絶した。そしてもちろん岩窟《いわや》の老人も私が森林へ分け入ることを非常に嫌っているらしかった。
 そこで私はこう思った――
「何より先に人猿どもを自分の味方に慣《なつ》けなければならない」
 とは云えどうしてなつけ[#「なつけ」に傍点]たものか最初は考えにも及ばなかったがその内一策を考え出した。私は美味《うま》い食物によって彼らを釣ろうとしたのであった。彼らは半分《なかば》人間ではあったが煮焚《にた》きの術を知らなかった。それを私は利用したのである。
 ある日私はいつものように自分の小屋の石のストーブで兎の肉を燻《い》ぶしていた。それがすっかり出来上がった時|果実《このみ》の絞り汁に充分浸して小屋から外へ出て行った。

        四十二

 森林には大勢の人猿どもが彼らの生活を営んでいたが、私を見ると警戒するように互いに何か叫び合った。私は老人に教わった人猿どもの言葉のうち、簡単な単語だけを知っていたので、最初に行き逢った人猿に向かって、
「焼き肉。食え!」
 と彼らの言葉でまず元気よく云って置いて持って来た燻肉を投げてやった。その人猿は最初のうちは地に落ちている肉の片を審《いぶか》しそうに見ていたが、とうとう片手で取り上げて口へ持って行って噛み付いたが、生肉の味とは似ても似つかぬ微妙な味に驚いたか、その肉片を握ったまま彼の仲間へ飛んで行き、忙がしく何か喋舌り出した。と一斉に人猿どもは私の方へ眼を向けたが爛々と光るその眼に打たれて私は思わず戦慄した。
 次の瞬間には私の周囲《まわり》を幾百という人猿どもが三重にも四重にも取り巻いて、両手を私へ突き出してじっと私を見守っていた。手に持っただけの肉片を彼らの群の中へ投げ込んで置いて、私は恐怖に襲われながら木の上の小屋へ逃げ込んだ。
 私の計画は成功してその時以来人猿どもは私の姿を見掛けさえすれば、両手を前へ突き出して燻肉を請求するのであった。
 ある時私は蔓《つる》で編んだ大きな籠を拵えたがその中へ燻肉を一杯に充たして最初の旅行を企てた。しかし十町と行かないうちに籠の中の肉は悉《ことごと》く尽
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