。折り畳み式の革船で八人乗りの大きさであった。湖水に浮かべる船としてはこれ以上勝れた船はない。軽く漂々と水に浮かんで燕のように軽快である。
ラシイヌ探偵とレザール氏とマハラヤナ博士と医学士とダンチョン画家と二名の土人、そして私とが船に乗った。湖底の雷龍が首でも上げて船を覆さないものでもないとラシイヌ探偵は心配して、岸に集まっている土人軍に命じて時々大砲を撃たせることにした。もちろんそれは空砲で、ただ臆病の雷龍をその音響で威嚇していつまでも湖底に止どまらせるのがラシイヌ探偵の望みであった。
殷々と鳴り渡る大砲の音に私達の船は送られて湖水に向かって漕ぎ出した。行く行く私達は水眼鏡で湖水の中を覗いたが、珍奇な水草と畸形の魚とで水中はあたかも人の世における五月の花盛りそっくりである。
原始林が風を遮《さえぎ》るので湖水の面は漣《さざなみ》も立たずちょうど胆礬《たんばん》でも溶かしたように蒼くどろり[#「どろり」に傍点]と透き通っている。岸に近い水面は木立を映して嵐に騒ぐ梢の様子がさながらに水に映って見えている。船の進むに従って水尾《みお》が一筋水面に走りそこだけキラキラと日光に輝き銀色をなして光っている。無数の水禽《みずとり》が湖心の辺《ほとり》に一面に浮かんで泳いでいたが、船が近付くのも知らないようにその場所から他へ移ろうともしない。
私達は湖水の中心へ来た。そこでしばらく船を留めて湖底の様子を窺った。しかし到底水眼鏡などでは幾丈と深い水の底を突き止めることなどは出来なかった。靡《なび》く水草、泳ぐ魚、わずかにそれらが見えるばかりだ。
そこで今度は岸に添うて湖水の周囲を調べようと土人軍達が屯《たむ》ろしているその岸を指して船を漕いだ。土人達はほとんど間断なく空砲を空に向けて撃っている。その陰森たる大砲の音は人跡未踏の神秘境のあらゆる物に反響して木精《こだま》となって返って来る。
こうして私達の革船が岸から十間ほどに近付いた時、にわかに船が動かなくなった。そしてその次の瞬間には、反対《あべこべ》に船は速く走って後方《あと》へ後方へと戻るのであった。
思いがけないこの出来事はどんなに私達を驚かせたろう! 半分飽気にとられながらそれでも腕力を櫂にこめて岸へ近付こうと漕ぎつづけた。すると今度は後方《あと》へも戻らず勝《ま》して前方《まえ》へは進もうともせず岸から十間の距離をへだててただ岸姿《きしなり》に横へ横へとあたかも湖水を巡るかのように急速に革船は廻り出した。
その時ラシイヌの鋭い声が私達の耳を貫いた。
「水を見ろ! 水を見ろ! 水を見ろ!」と。
私達は一斉に湖上を見た。湖水は湧き立っているのではないか!
四十
今までは小さな漣さえなかった碧玉の湖水が白泡を浮かべて奔馬のように狂っている。そして不思議にも湖上の水は巨大な渦巻を形造って湖心を中心にして廻っている。私達の船はその渦巻の一番外側の輪の中にあった。船はその輪の水勢に連れて湖岸に添うて走って行く。
船が走るに従って岸上の土人軍は驚嘆の声を口々に鋭く叫びながら船の後から追っかけた。しかし水勢には及びもつかず見る見る船と彼らとの距離は遠く遠く隔った。
湖水を一周した頃には船は渦巻の第二の輪をいくらか渦巻の中心の方へ傾きながら走っていた。私達はあらゆる努力をして渦巻の外へ出ようとしたが、蟻地獄へ落ちた蟻のようにどうすることも出来なかった。船は岸上に屯ろしている土人軍の前を過ぎようとした。その時土人達は口々に叫んで棕櫚縄を一筋投げてくれたが船首をわずかに掠めたばかりで空しく水中へ落ちてしまった。いつか私達は渦巻の輪の第三番目にはいっていた。水は輪なりに走りながら時々高く盛り上がり次の瞬間には波を立てて低く落ち窪んだ。私達の船が波に乗って高く空中へ盛り上がった時、私は素早く眼をやって渦巻の中心を見たのであった。その辺一体は白泡に閉ざされ数千の白馬が鬣《たてがみ》を振って踊りを躍っているように見えたが、その白泡の真ん中所に直径半町もあろうかと思われる蒼黒い穴が開いていて、湖中の水はそこを目掛けてただ直向《ひたむ》きに押し寄せていた。穴はあたかも漏斗《じょうご》のように円錐形を呈していて、落ち込む水がそこへはいる滝のようにすぐに落下せずにやはり漏斗形に廻り廻って静かに地底へ潜《くぐ》るのであった。
私は船が波の頂きに一瞬間とどまっている時にこれだけのことを見て取ったので、波が崩れて谷が開けその水の谷へ真一文字に私達の船が突き入った時にはもう水穴は見えなくなった。
この間も船は水穴を目掛けて刻々に進む水勢に引かれて湖水をグルグル廻っている。
何気なく岸の方を眺めて見ると遙か彼方に断崖のように赭黒い色をして聳えている。いつもは岸に擦れ擦れになって湖
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