追いかけて行って、そこで鏖殺《みなごろし》にしたそうである。しかし残念にも袁更生だけは取り逃がしたということであった。
 この惨酷な屠殺戦では、かなり味方も傷ついたので重い負傷者の若干《いくらか》を土人の部落に預けて置いて、負傷《きずつ》かない壮健の者ばかりがここまで来たということであった。

「君の方で僕らを裏切っても、どんなに僕らから逃げ廻っても、僕らの方では君のことをちっとも悪くは思っていない。そうじゃないかね張教仁君……」
 いつも寛大なラシイヌ探偵が、こう云って快活に笑いながら、力強く私の手を握った。その時は実際私の顔は恥ずかしさのために赧くなった。
「そればかりでなく……」と大探偵は私の顔をつくづく見て、「僕らの友人ダンチョン君を蛮人の毒手から救ってくれた君の義侠心に対しては心からお礼を申し上げる」
 こう云って彼は叮嚀《ていねい》に頭を私に下げさえした。私達二人は湖水の岸の倒木《たおれぎ》の上に腰かけて互いに話し合っているのであった。ダンチョンはレザールやマハラヤナ博士に人猿と老人を紹介しようと、皆んなを引き連れて森林の中へ先刻はいって行ったままいまだに帰って来ないらしい。
 それで四辺は静かである。
 湖水は平らに輝いている。
 恐龍も雷龍もトラコドンも大砲の音に驚いたと見えて水から姿を出そうともしない。樹々の倒影、雲の往来《ゆきき》、みんな水中に映っている。
 風が窃《ひそ》かに渡ったと見えて水面に漣《さざなみ》がもつれ合った。
 しかし再び静かになり湖水は黄金色に輝いている。神秘! 神秘! 正に神秘! この平和らしい湖水の底にこの平凡な湖の中に、羅布《ロブ》人の宝が、巨億の富が、はたして埋もれているとしたら何んというそれは神秘であろう! 神秘! 神秘! 正に神秘! しかも価値のあるこの神秘を今や我らは開こうとして湖水の畔に集まっている。
 神秘が神秘であったなら、我々は財産家になれるだろう。そうだ素晴らしい財産家に!
 私は湖水を眺めながらこんな空想にふけっていた。
 すると、ラシイヌ探偵が、何か口の中で唄い出した。
[#ここから1字下げ]
…………
山と湖とに守られて
我らの先祖が住んでいる
湖と山とに囲まれて
先祖の宝が秘蔵《かく》されてある
[#ここで字下げ終わり]
 突然ラシイヌは立ち上がった。そして厳《おごそ》かにこう云った。
「湖水へ船を浮かべよう! 皮で作った船がある! そして湖水の底を見よう! 湖水の秘密の第一歩をとにかく探って見ようではないか!」

        三十九

 探検隊の一行は私を蕃地へ残したまま元来た方へ引き返した。探検隊の人達は――わけてもラシイヌ探偵は自分達と一緒に来るようにと熱心に私に勧めたけれど私は同意しなかった。どうして同意しなかったかというに、それには私だけの理由があった。
 一行がいよいよ湖畔を去って深い原始林へはいって行くや、今まで姿を見せなかった有尾人どもは木や草の中から醜悪の顔を覗かせて賑やかにお喋舌《しゃべり》をやり出した。そして人猿とほとんど一緒にどこかへ姿を隠してしまった動物学者の老人もいつの間にか岩窟に帰っていた。私は今まではダンチョンと一緒に蕃地に停まっていたのであったが、そのダンチョンも一行と一緒に原始林の中へ消えて行って私は文字通り一人ぼっちになった。だから私の友達と云えば予言者のような老人と尾を持っている原始人と湖底の怪物トラコドンなどで、友達と云えば友達ではあるが、いずれも縁遠い者どもであった。
 私はやはり以前《もと》の通りに老人と一緒に老人の岩窟で朝夕日を送っているのであったが、今度の事件が起こってからは、その老人も以前《まえ》のようには私に好意を示さなくなった。それで私は自分の住家を岩窟の外へ求めようとした。老人は長い間考えてからようやく私の希望を容れて小屋を造ることを許してくれた。老人の命令に従って有尾人達は私の小屋を湖水の見える林の中の高い木の上へ造ってくれた。人猿達は腕力に任かせて巨大の生木をピシピシ折ったり鉄より強い藤の蔓を糸でも切るように引き千切ったりして、ものの半日と経たないうちに私の小屋は出来上がった。何より私の喜んだことは老人にも人猿にも妨げられずにたった一人で小屋の中で熟考することが出来ることで、私は終日そこに坐って是非ともこれから行なって見ようと思う計画について考えた。この計画があったればこそ、ラシイヌ探偵の勧めにも応ぜず一人蕃地へ残ったのである。
 しかし私の計画についてこの備忘録へ記すより先に、何故探検隊の一行がこの土地を見捨てて立ち去ったかを書き記す方が順序らしい。

 探検隊の一行が私達の面前へ現われた日のその翌日のことであったが、ラシイヌ探偵の指揮の下に革船を一隻湖水に浮かべて湖底の様子を探ろうとした
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