底本では「ちっともない人猿が」]私達を守っている……はたして私達の頭上からヒラヒラとちょうど蝙蝠《こうもり》のように人猿達が下りて来た。そして悲壮な格闘が大猩々との間に行われたが、ものの十分も経たないうちにゴリラは三つに引き千切られた。
 森林が開けて陽が射している大きな沼へ来た時にまたも私達は前世紀の怪獣の一つに遭《ゆきあ》った。十間もあるらしい長身の背中一面に角の生えた尾と頸の長い動物で、その尾と後脚とを利用して立ったままヨチヨチ歩いている。私達の姿を見付けるや否や一躍して水中へ飛び込んだがそのまま姿は見えなくなった。私達二人は沼の岸を静かに歩いて進んで行った。キキ! キキと木の梢で悲しそうな声で鳴くものがあるので何気なく仰いで梢を見た。眼玉の飛び出た鰭《ひれ》の長い八尺あまりの鯊《はぜ》のような魚が鰭《ひれ》で木の幹を攀《よ》じながら悲しそうに鳴いているのであった。
 私達は尚も彷徨《さまよ》って行った。鰐の住む濁った河を渉り鴨嘴《かものはし》の群れている湿地を越えて足に任せて彷徨った。
 またも森林が途絶えて、前方遙かに砂丘が見え、熱帯の太陽が赧々《あかあか》と光の洪水を漲らせている何んとなく神々しい別天地が私達の前へ展開した。
 光の洪水に洗礼されたその前方の砂丘の上には一個の祠《ほこら》が安置されてあってあたかもそれを守るかのように石で刻まれた狛犬が、肩に焔を纒いながら祠の前に坐っている――その光景を眺めた時、私は卒然と羅布《ロブ》の沙漠の緑地《オアシス》で見た同じ祠を頭の中に描き出した。
「おお何んと同一ではあるまいか! ……ロブの沙漠のあの祠《ほこら》とボルネオの奥地のこの祠《ほこら》とは!」
 私は感激に胸を顫わせ釘付けのように突っ立ったままじっと祠を眺めていた。すると私のこの感激を一層高潮に誘うような不思議な事件が突発した。それは、今まで梢の上で私達を守っていた人猿達が、祠の姿を見るや否やバラバラと梢から飛び下りて人間のようにひざまずいて祠を遙拝することであった。
 ああその熱心さと敬虔《けいけん》さとは何んに例《たと》えたらよいだろう? 古代、仏教の信者達が仏陀の尊像を堅く信じて祈願をこめた熱心さと敬虔さとに例えようか。それにしてもどうして人猿達が遙拝の仕方などを知っているのであろう? 誰か彼らに教えたのか。それとも、自然に覚えたのか。そしていったいあの祠には何が祭ってあるのだろう! 彼らの神か? 宝物か? そして大きなあの丘はただ砂の堆積《つも》ったものだろうか? それとも何かがあの丘の中に隠されてあるのではあるまいか?
「神秘! 神秘! 要するに神秘! 湖水と同じくただ神秘!」
 私は心で呟いて四辺の様子を見廻した。すると私はこの辺一体――もちろん砂丘も引っ包《くる》めて土地の低いのに気が付いた。

        三十八

 人猿と老人とに養われて私達は十日を経過した。ある朝、人猿の騒ぐ声が物々しく岩窟《いわや》まで響いて来た。そして意外にも大砲の音が湖水の向こうから聞こえて来た。
 私達はハッと飛び起きた。
 そして岩窟から走り出た。私達は何を見つけたろう? ……
 朝陽に輝く湖水を越え、原始林の緑を背中にして遙か向こうの湖水の岸に五、六十人の人間が、大砲の筒口をこっちへ向けて群像のように立っている。
「ラシイヌ探偵の一行だ!」
 ダンチョンが嬉しそうにこう叫んだ。
「しかし」
 と私は躊躇《ちゅうちょ》した。
「袁更生かもわからない」
 二人は熱心に眺めやった。
 危険に対して敏感な、人猿どもは大砲の音に、すっかり度胆を抜かれたと見えて森林の奥へ逃げ込んで一匹も姿を見せなかった。私とダンチョンとは佇んだままなお熱心に眺めやった。距離が距たっているために袁更生の一味ともラシイヌ探偵達の一隊とも見分けることが出来なかった。
 しかし間もなくその一群がもう一度空砲を打ち放しこっちの様子を窺ってから、危険がないと思ったものか徐々にこっちへ近寄って来たので、その一群が何者であるかを私達はやっと知ることが出来た。
 ――彼らは私達の味方であった……

 情熱的の挨拶が双方の間に取り交わされ不思議の奇遇が言祝《ことほ》がれた。それから双方争うようにして今日までの経験を物語った。彼らの話す話によってあの恐ろしい山火事がどうして起こったか知ることが出来た。蛮人のために捕虜になったダンチョンの命を助けようため彼らが放した砲弾が蛮人の部落に命中して萱葺き小屋を[#「萱葺き小屋を」は底本では「萱葦き小屋を」]焼いたのがその原因だということである。そして彼らはあの素晴らしい焦熱地獄の火の中で土人と戦ったということであった。そしてとうとう土人どもを全く屈服させたあげく、袁更生の一団をボルネオ島の北の端れへ息も吐《つ》かせず
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