へ出る時も一緒に出た。しかしおおかたは室に籠もって相談事でもしているらしく、室の錠はいつもおろされていた。
 この頃|北京《ペキン》は物騒であった。政府の高官顕職が頻々として暗殺《ころ》された。そして犯人はただの一度も捕縛されたことがないのであった。
 そのまた殺し方が巧妙であった。巧妙というよりも奇怪であった。その一例を上げて見れば、ある白昼のことであったが、警務庁の敏腕の班長が、二人の部下を従えて、繁華な灘子《だんす》街を歩いていた。街路の両側の小屋からは、幕開きの銅鑼《どら》の賑やかな音が笛や太鼓や鉦《かね》に混じって騒々しいまでに聞こえて来る。真紅の衣裳に胸飾り、槍を提《ひっさ》げた怪美童を一杯に描いた看板が小屋の正面に懸かっている。外題はどうやら、「収紅孩」らしい。飯店に出入りする男子の群、酒店から聞こえる胡弓の音、「周の鼎《かなえ》、宋の硯」と叫びながら、偽物を売る野天の売り子、雑沓の巷を悠々と班長と部下とは歩いて行った。
 すると突然班長が苦しそうな声で叫び出した。
「どいつか俺を引っ張って行く! どいつか俺を引っ張って行く! 眼には何んにも見えないけれど、どいつか俺を引っ張って行く! ……遠くで俺を呼んでいる! どいつが呼ぶのか解からないけれど!」
 叫びながら班長は、真白昼《まっぴるま》の、灘子《だんす》街の盛り場を一散に、電光のように走るのであった。
 不思議なことには、そうやって、班長は走って行きながら、全身をちょうど弓のように思うさま後方《うしろ》へ彎曲させて、彼を引き摺る眼に見えぬ力に、抵抗するようではあるけれど、先の力が強いと見えて、見る見るうちに彼の姿は、人波の中に消えて行った。
 しかも翌日彼の姿は屍骸となって皮肉にも警務庁の玄関に捨ててあった。屍骸には一つの傷もない。圧殺したような気振りもない。と云って毒殺の痕跡《あと》もなく、自殺したらしい証拠もない。ただそれは一個の屍体であった。傷がないばかりかその屍骸は掠奪されてもいなかった。官服《ふく》はもちろん懐中の金も一文も盗まれてはいなかった。そして屍骸の死に顔には「驚《おどろ》き」の表情はあったけれども「無念」の表情は少しもない。
 こういう不思議な殺され方で大道へ屍骸《むくろ》を晒らした者は班長ばかりではないのであった。先刻も云った通り政府筋の高位顕官が殺されたのみならず南方は広東
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