であろうと、斯う思い込んで居りましたところ、頃日、名家の墨跡を見、歳の字の件《くだり》まで参りました所、才の字が書かれてございました」
「それとて当字ではござらぬよ。即ち、才は哉の古字、而て哉は戴に通じ、尚又戴は歳の字と同意義、自然才の字は歳の字に通じ、二者は全く同一字でござる」
 そこで純八は復《また》訊いた[#「復《また》訊いた」は底本では「復|訊《また》いた」と誤記]。
「拙者は此土地の郷士でござって祖父の代までは家も栄え、地方の分限者でござりましたが、父の世に至って家道衰え、両親此世を逝って後は、愈々赤貧洗うが如く、ご覧の通り此拙者、妻帯の時節に達し居り乍ら、妻も聚[#「聚」はママ]《めと》れぬ境遇ながら、文武の道のみは容易に捨てず、学ぶ傍子供を集めて、古えの名賢の言行などを、読み聞かせ居る次第にござりますが、「童子教」という、古来よりの著書《ふみ》、覚え易く又教え易き為、子供に読ましめ居ります所、内容余りに僧家の事のみ多く、且、如何わしい説なども有って、聖賢の名著とは思われず、此儀如何にござりましょうか?」
「左様、名著ではござらぬの。取るにも足らぬ俗書でござる」
 僧は言下
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