めになった時、遂々恐ろしい没落が純八の身の上に落ちて来た。
 それは後園の藤袴が空色の花を枝頭に着け、築山の裾を女郎花が、露に濡れながら飾るという如何にも秋めいた日のことであったが、純八は一人池の周囲をのんびり[#「のんびり」に傍点]した気持で歩いていた。
 と、裏門がギーと開いて、三年前に初めて逢い、彼に福徳を授けて呉れた白髪|皓膚《こうふ》[#底本では「《こうひ》」]の托鉢僧が、そこから忽然と這入って来た。
「お、これはご老僧。ようこそお出で下されました」
 と、死んだ親にでも逢ったように、大袈裟に純八は喜び乍ら、手を拡げて其方へ走り寄った。
 併し老僧は挨拶もせず、只凝然と立っている。昔の俤と変りが無いが頸の辺に太刀傷が一筋細く付いているのが、些昔と異っている。
「どうじゃな?」
 と僧はやがて云った。
「今の境遇は楽しいかな」
「はい」と純八は慇懃に、
「此上も無く結構でござります」
「成程」
 と僧は笑い乍ら「何時迄も今の境遇に坐っていたいと思うかな?」
「何時迄も居り度うござります」
「成程」
 と僧は復笑って「併し私にはそうは見えぬ、お前は何うやら厭飽《あき》たらしい」

前へ 次へ
全29ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング