斯う云うとスックと立ち上がり、スタスタ往来の方へ足を運んだが又口から穢物を吐き出した。併《しか》し老僧は見返りもせず、門から外へ出て行った。と最う姿は見えないのである。
「お気の毒にもご老僧は未お体が悪いと見える」――斯う云い乍ら門の方を暫く純八は見送ったが、軈て僕《しもべ》の八蔵を呼んで其穢物を掃除させた。
八蔵は何か口の中でぶつぶつ不平を云っていたが、主人の命令に従って鍬で其辺の土を掻いた。カチリと鍬の刄に当たるものがある。見ると手頃の銀環である。その銀環をぐい[#「ぐい」に傍点]と引くと、革袋の口が現れた。
「これは不思議」と縁から下りて、純八も八蔵へ手を貸して、共に銀環を引っ張った。二人の力を合わせても、革袋は動こうともしないのである。つまり夫《そ》れ程重いのである。
「何が這入って居るのであろう?」
純八は好奇心に促され、引くのを止めて短刀を抜き、袋の口を切り払ったが、その瞬間に鋭い悲鳴が「が――ッ」と切口から聞えて来た。併し不思議は夫ればかりで無く、見よや巨大の袋の中には黄金ばかりが張ち切れる程に一杯に充ち満ちているではないか!
「偖こそ昨日の老僧は仏菩薩の化身であったよの! 我の貧困を憐み給い巨財をお授け下されたのであろうぞ! 南無阿弥陀仏」
と思わず知らず、純八は念仏を申したが、果して彼の思った通り、数えもされぬ程の其財宝は仏菩薩よりの贈物であったろうか?
「いや!」
と医師の千斎だけは、その好運を否定《うべなわ》なかった。
「それこそ妖怪の誘惑でござるよ。すべて災難の参る時は、多くは最初には夫れと反対に、好運めいたものが参るものでござる。お気の毒な、純八殿じゃ。妖魔に魅入られて居られやす哩。が夫れにしても彼の老僧抑々何物の変化であろう」
蟇の池の怪
斯ういうことのあったのは、元禄十五年六月のことで、諏訪因幡守三万石の城下、高島に於ける出来事である。
偖《さて》、斯うして巨財を贈わった。本条純八は、是迄の貧しい生活を捨てて、栄誉栄華に日を送る事を、何より先に心掛けた。
この物語の原本たる「異譚深山桜」には、其時の事を次のように、美しい文章で書いてある。
「(前略)……彼の歓喜限り無く宛《さなが》ら蚊竜時に会うて天に向かつて舞《のぼ》るが如く多年羨み望みたる所の家財調度を買求め、家の隣の空地を贖ひ、多くの工匠を召し集めて、数奇を
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