たとて恥しゅうも無いし討ち果たして呉れようと云われたとて、怒る可き筋がござろうか! まずまず笑って水に流されい! さあさあニッコリとお笑いなされい」
 成程、このように云われて見れば、如何にもそれに相違無かったので、二人は無言で刀を置いた。そうして間も無く松太郎は辞し去り、事は穏便に治ったが、その時以来|蟠《わだかまり》が二人の間には出来たのであった。
 斯うして春去り夏来たり、その夏も去って凉風の吹く秋の季節とはなったのである。

 それは仲秋三五の月が、玲瓏たる光を地上に投げ薄尾花の花の蔭で、降るように虫の鳴きしきる、一年に一度の良夜であったが、長い間の物忌から、すっかり欝気した純八は、その籠もった気を晴らそうものと、一人ブラリと家を出て、山手の方へ歩いて行った。
 小さい峠を一つ越して、杉林の中へ這入って見た。
 と、一つの辻堂がある。
 辻堂の縁へ腰を掛け、彼は無心で月を見乍ら、低声で小唄を唄っていた。人気が無いので四辺は静かで枯葉の落ちる些かの音さえ、はっきり[#底本では「はっかり」]耳に聞えて来る。
 すると、其時、スタスタと、立木の間を潜りながら近付いて来る人影がある。見れば美しい手弱女《たおやめ》で、髪豊に頸足白く、嬋娟《せんけん》たる姿、※[#「臈のくさかんむりが月にもかかった形(臘と同字)」、読みは「ろう」、第3水準1−91−26、133−上15]たける容貌、分けても大きく清らかの眼は、無限の愁いを含んでいて見る人の心を悩殺する。年は凡そ十九ぐらい、高価の衣裳を着ている様子は、良家の令嬢と思われた。
 純八の居るのに気が付かぬかして、辻堂の前まで歩いて来ると、うずくまり乍ら合掌し、熱心に何事かを祈っていたが、その声はどうやら泣いているらしい。
 やがて彼女は立ち上がった。が復直ぐに地面に坐り、また其処で暫く歔欷《きょき》したが、遂に懐中から懐剣を取り出し、あわや[#「あわや」に傍点]喉へ突き立てようとした。
 始終を見ていた純八は、此時思わず身を乗り出し懐剣持つ手をつと抑[#「つと抑」に傍点、傍点位置はママ]えたが、
「この短刀まずまずお放しなされい! 見れば浦若い娘の身で、このような所へ来るさえあるに、自害なさろうとは心得ぬ。死ぬ程の苦痛ござるなら、一応拙者にお話しなされい。及ばず乍らお力にもなり、ご相談にも乗り申そう」――無理に懐剣を奪い取り
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