|※[#「倏の俗字(犬が火)」、第4水準2−1−57、127−下1]忽《しゅっこつ》[#底本では「《しょこつ》」]として消亡す。(下略)」
 つまり恋しい笹千代も恩愛限り無い吉丸さえ、彼は失って了ったのであった。如何に彼が驚いたか、どんなに彼が悲しんだか、敢てそんな事は筆を改めて説明するにも及ぶまい。――斯うして彼は一切の栄華、総ての物を失ったのであった。

  美人と童子

 一朝にして王侯の生活、再転して乞食の境遇。昨日の繁栄は今日の没落、本条純八は暫くの間は夢|現《うつつ》の境に彷徨したが、此の著しい変転は却って彼には良薬となり、俄然精神が一変し、現世の悦楽を求むる代りに、虚無融通の神仙道に、憧憬の心を運ぶようになった。
 昔のままに残っている先祖から譲られた廃屋《あばらや》に住み、再び近所の子供を集めて、名賢の教えを説く傍山野の間を跋渉して、努めて心胆《こころ》を鍛錬した。
 喜んだのは医師千斎で、
「これこそ誠の生活というものじゃ」
 斯う云って彼は元通り繁々足を運ぶようになった。筒井松太郎は云う迄も無く無邪気な仲のよい友達として、毎日のように訪れて来る。一度魔道に入り乍ら、よく改心した賢者だというので却って人々は尊敬する。
 で、一年も経った頃には、彼も何時しか昔の事を忘れて、村風子の身の上を喜ぶようになった。
 斯うして復も一年経ち、梅の花の咲く春となった。千里鶯啼いて緑紅に映ず、水村山郭酒旗の風――郊外の散策に相応い、斯う云ったような季節になったのである。
 で彼は或日一瓢をたずさえ、湖水の岸に添い乍ら小坂の観音の方へ彷徨って行った。
 目指す境内へ着いたは、日暮に近い頃であって数百年を経たらしい梅の老木が、千孕万孕の花を着け、夕陽に皓々と照り栄えている様子は、例ようも無く美しかったが、参詣の人も花見の人も悉く絶えて影も無かった。
 純八に執っては人の居ない事が、却って好都合で有難く、飽かず其辺を逍遙しながら、静かに歌を考えたりした。
 斯うして今の時間にして二時間余りも経った時、既に充分興を尽くしたので、彼は家路に就こうとした。
 すると、忽どこからとも無く、
「純八殿、純八殿」と呼ぶ者がある。
「何人《どなた》でござる?」
 と怪しみ乍ら、純八は四辺を見廻わした。人の居るような気配も無い。で復彼は歩き出した。と復同じ声がして、
「純八殿、純八殿」
前へ 次へ
全15ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング