、鍔無柄巻の小刀一本(一尺足らずのものである。)金属製の小|喞筒《ぽんぷ》(これで硫酸や硝酸を、敵の面部へ注ぎかけた。)精巧無比の発火用具(燧石の類である。)折畳式の鉄梯子、捕繩、龕燈、各種の楽器(これで或る時は虫の音を聞かせ、又或る時には鳥の音をきかせ、その他川の音風の音、蛙の音などを聞かせたものである。)そうして些少《いささか》の催眠剤など。……
そうして詳細の地図を持ち、目欲しい城の繩張絵図、こういうものを持っていた。
「平法術」も必要であった。(即ち平日喧嘩の場合に、特に用いる術として、伊藤伴右衛門高豊が、編み出した所の武術である。)
立合抜打と称された「抜刀術」も必要であった。
「小具足腰の廻わり」も必要であり「捕手」「柔術《やわら》」も大切であった。「強法術」は更に大事、「手裏剣」の術も要ありとされた。
「八方分身須臾転化」これが忍術家の標語であった。「居附」ということを酷く嫌った。
「欲在前忽然而在後」これでなければならなかった。
「澄む月は一つなれども更科や田毎の月は見る人のまま」
こうでなければならないのであった。
六
或る夜秀吉はお伽衆を集め、
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