けれど、態度たるや然うでは無い。軽口頓智を申上げ、それで殿下がお笑いになれば、唯無性と嬉しくなる。こういう心持は何う弁解しても、傭人の卑窟心だ。操っている操っていると思い乍ら、いつか人形に操られている、可哀そうな馬鹿な人形師! どうやら其奴が俺らしい。成程なあ、こうなって見れば、浪人した五右衛門は利口だわえ」
彼は怏々として楽しまなかった。
五
剽盗になってからの五右衛門は、文字通り自由の人間であった。
本能によって振舞った。
快不快によって振舞った。
所謂る徹底した功利主義者として、天空海濶に振舞った。
「その結果が愉快でさえあれば、動機なんか何うだって構うものか」
これが五右衛門の心持であった。
だが、賊としての五右衛門の、その凶悪の事蹟に就いては、既に大分の読者諸君は、講談乃至は草双紙によって、先刻承知のことと思う。で、詳しくは語るまい。
関白秀次に仕えたのは、秀次の執事木村常陸介と、同門の誼《よしみ》があったからであった。
「おい、仕えろ」「うん、よかろう」
こんな塩梅に簡単に、常陸介の周旋で、五右衛門は秀次へ仕えたのであった。
当時秀次は聚楽
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