まじい惨酷な光景を見まいと、両の袖で顔を蔽われて、月照上人様はおられました。
 でもどうしたらそのご上人様を、この恐ろしい犬神の祈祷所《きとうしょ》から、連れ出すことが出来るでしょうか? ただわたしは喘《あえ》いでばかりおりました。

        十

 と、その時わたしの横を、しずかにしっかりと通って行く、人の気配を感じました。わたしたちの後から上がって来られた、野村望東尼様でございました。(あッ、あぶない!)とわたしは驚き、声をあげようとしました時には、もう望東尼様はご上人様の側《そば》まで、足を運ばれておりました。何がその次に起こったでしょう? 吠えるような声をあげながら、抱きすくめていた男の死骸を投げ出し、犬神の娘《こ》が猛然と、大切な餌のご上人様を奪い、つれ出そうとする望東尼様に向かって、躍りかかろうといたしました。でもその瞬間に二人の人が――国臣様と北条右門様とが、抜き身をさしつけて立ちふさがりました。
 と、訓すような憐れむような、しかし凛々しい望東尼様のお声が、すぐに続いて聞こえて来ました。
「女の心は女が知る、お前様のお心持ち、この望東にはよくわかります。しかし月
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