吉之助様たちには解らなかったらしく、どなたも何んともおっしゃらなかったので、わたしも黙っておりました。
わたしたちは進んで行きました。
すると柳の老木があって、濃い影を地に敷いておりましたが、そこに十数人の人がいて、こっちをじっ[#「じっ」に傍点]と窺っていました。それがどうやら捕吏らしいのです。
「どうしよう?」と俊斎様が囁かれました。
「かまわん」と吉之助様がおっしゃいました。
「船はもう眼の先にある。面倒になったら叩っ切れ」
「斬ってはならんとおはん[#「おはん」に傍点]申したが。……」
「時と場合じゃ、今はよか。……斬り払って上人を船に乗せるのじゃ。乗せてしまえばこっちのものじゃ」
「斬りたいの。久しく斬らん」
「そういう心がけで斬ってはよくない」
「フ、フ、フ、なるほどそうか」
捕吏らしい人影の前まで来ました。
にわかにそいつらが動き出し、五、六人が飛び出そうといたしました。
するとさっきの女の声でした。
「妾アお供の露払《つゆはら》いの奴に、たった今謎をかけて確かめてみたのさ。人違いだよ捨てておきな。駕籠の中にいるなア女だよ」
地面に近い二尺ばかりの宙に、小指で朱を捺《お》したような赤い火が、ポッツリ光っておりましたっけ。例の女がしゃがみこんで、煙草《たばこ》を喫っていたんですねえ。
とうとうわたしたちは船の纜《もや》ってある岸まで、無事に着くことが出来ました。
そこでご上人様を駕籠から出し、真っ先に船へ乗せまして、わたしたちもつづいて乗りました。
「上人船へお寝なされ」
そう吉之助様がおっしゃいました。
云われるままにご上人様が、つつましく船底へ横になりますと、吉之助様は自分の羽織を脱がれ、その上へ素早くお着せになり、
「さあ船夫《かこ》いそいで船を出せ」
「駄目ですよ、出せませんねえ」
と、不意に一人の船夫《かこ》が云って、
「なアおいお前《めえ》たちそうじゃアないか」と、仲間の方へ顔を向けました。
するともう一人の若い船夫《かこ》が、
「こんな深夜に坊様を乗せて、船を出すとは縁起が悪い。そうともよ船は出せねえ」と、合槌を打つように云ったものです。
「黙れ」と俊斎様はお怒りになり、鋭いしかし窃《ひそ》めた声で、「ぐずぐず申すとその分には置かんぞ。これ早く船を出せ!」
こうおっしゃって刀の柄へ、もう手をかけておられました。
前へ
次へ
全21ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング