ょっと[#「ちょっと」に傍点]したことに、くたくたになってしまうものさ。たとえばその人の足の踵《かかと》が、桜貝のような色をしていたというので、旦那をすててその人と逃げたり、その人が笑うと糸切り歯の端《はし》が、真珠のように艶《つや》めくというので、許婚《いいなずけ》をすててその人と添ったり、おおよそ女ってそんなものだよ。……あの人のお手、綺麗だねえ」
「…………」
「八百八狸も名物だけれど、でも四国にはもっと凄いものが、名物となっている筈だよ。犬神《いぬがみ》だアね、犬神だアね」
「…………」
「でも犬神もこんなご時勢には、ご祈祷《きとう》ばかりしていたんでは食えないのさ……。犬の字通り隠密《いぬ》にだってなるのさ。……取っ付きとさえ云われている犬神、こいつが隠密《いぬ》になったひにゃア、どんな獲物だって逃がしっこはないよ」
四
わたしとその女とは突っ立ったままで、話しているのではありませんでした。わたしが河岸《かし》の方へ歩いて行くので、その女が従《つ》いて来て、そう小声で話しかけるのでした。
「でもねえ」とその女は云いつづけました。「そういう女が裏返ると、かえって力になるものでねえ。……綺麗なあの手に触れてからというもの、わたしは、そうさ、犬神の娘は。……それはそうと、ねえ重助さん、向こうにどんな奴が集《たか》っていたって、船頭の奴らが何をごて[#「ごて」に傍点]ようと、心配はいらないからそう思っていておくれ。……それからねえ重助さん、わたしたちのお仲間犬神の者は、四国は愚《おろ》か九州一円に、はびこっているんだから安心しておくれ。福岡にであろうと薩摩にであろうと。……じゃア重助さんさようなら、折りがあったらわたしのことを、手の綺麗なお方へおっしゃっておくれよ。……でも重助さん解ったかしら? わたしって女誰だかわかって?」
「へい、竹田街道の立場茶屋で。……」
「ああそうさ、あの時の女さ。……では重助さんさようなら」
こういうとその女は私からはなれて、先へ小走って行ってしまいました。
(このことは吉之助様や俊斎様へ、お話した方がよいだろうか? それとももう少し封じておこうか?)と、思案のきまらない心持ちで、私はノロノロ歩いて行きました。
するとすぐに駕籠に追いつかれました。
距離がはなれていたためか、私とその女とが話していたことが、
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