き馬市は繁昌、おかげでわしらの賭場も盛り、芽出度い芽出度いと云って居る際に、赤尾と出入りが起きようものなら、馬市もメチャメチャ諸人方は、どれほど迷惑するかしれねえ。その馬市も明日一日だけ。……そこで出来ねえ我慢をして、ここはわし等の顔を立て、穏便に済まして貰いたいが」と、こう半助が猪之松に話すと、又藤兵衛は林蔵に対し、
「藤作どんが酔ったまぎれの、賭場荒しめいたてんごう[#「てんごう」に傍点]も、景気に連れての振舞いでしょうよ、そいつを高萩の身内衆に、場銭さらいにやって来たかと、悪態されたでは赤尾のとしては、黙っていることは出来ますめえが、馬市も明日一日、どうか穏便に済ましたいもので。出入りとなると諸商人はじめ宿の者一統が難渋するので」
 こう云って納めようとした。
 林蔵も猪之松も頑迷ではなかった。こう云われるとそれを押し切って、私闘をすることは出来なかった。
「ではお任かせいたしましょう」と云った。
 しかし林蔵は考えた。
(いずれ俺と猪之松とは、将来|交際《つきあ》える関係《なか》ではない。そのうち必ず命を賭しての、出入り果し合いをすることとなろう。一日延ばせば一日延ばしただけ、双方嫌な目をするばかりだ。……この機会に勝負をつけてしまおう。……諸人に迷惑さえかけなかったら、何をやってもいいわけだ)
 そこで彼は果し状を認め、こっそり猪之松へ持たせてやった。
 ――諸人はかかわりなく二人だけで、今夜宿外れの黒川渡《くろかわど》の野原で、勝負しようという果し状であった。
「承知した」という返事が来た。


 黒川渡は宿から半里ほど距てた、樹木の茂った箇所であり、人家などはほとんどなく、ただ川の岸に渡し守の小屋が、一軒立っているばかりであり、そこを渡って向こう岸へ行き、そこから西野郷へは行くのであった。
 林蔵は渡し守の小屋まで来た。
「爺《とっ》つあん船を出してくんな」
「おや、これは親分さんで、夜分渡し船を出しますのは、堅い法度でございますが……」
「と云うことは知っているが……」
「実はたった今もお渡ししましたんで。法度は法度、抜道は抜道、ハイハイお渡しいたしますとも」
 爺《じい》さんは船を出し、林蔵を乗せて向こう岸へついた。
「もう一人俺のような人間が、渡りてえと云って来るだろうから、そうしたら文句無く渡してやってくれ」
「高萩の親分さんじゃアございませんかな」
「こりゃア驚いた、どうして知ってる?」
「たった今お渡りになりまして、同じようなことを仰有《おっしゃ》いましたので」
「さすがは猪之松、先へ渡ったか、こいつはどうも恐れ入った。……じゃア爺《とっ》つあんこうしてくんな。俺か猪之松かどっちか一人、間もなく宿の方へ帰るから、向こう岸へ帰らずに船をとめて、ここの岸で待っていてくんな」
「へい、よろしゅうございます……が、お一人だけお帰りになるので?」
「そうさ、一人だけ帰るのよ。もう一人は遠い旅へ出るんだ。……行って帰らぬ旅ってやつへな」
 云いすてて林蔵は先へ進んだ。
 と、雑木の林の中から、
「赤尾のか、待っていた」という、猪之松の声が聞こえてきた。
「高萩のか、遅れて悪かった」
「俺もいまし方来たばかりよ」
 木洩れの月光の明るい所で、二人は顔を向かい合わせた。
「さて高萩の」と林蔵は云った。
「三度目の決闘だ、今度こそかた[#「かた」に傍点]をつけようぜ」
「うん、俺もそのつもりだ。……最初は上尾の街道で、二度目は追分の宿外れの野原で、三度目はこの黒川渡で……」
「今度こそかた[#「かた」に傍点]がつきそうだ」
「三度目の定《じょう》の目でなあ」
「俺が死んだらオイ高萩の、俺の縄張俺の乾兒、お前|悉皆《みんな》世話を見てくれ」
「心得た、きっと見る。その代わり俺が死んだ時には……」
「俺が悉皆みてやろう」
「心残りはねえと云うものだ」
「もつれ[#「もつれ」に傍点]にもつれ[#「もつれ」に傍点]た二人の仲が、今夜こそスッパリとかた[#「かた」に傍点]がつく、こう思うと気持がいいや」
「これまでは四辺《あたり》に人がいて、勝負するにもこだわり[#「こだわり」に傍点]があったが、今夜こそ本当に二人だけだ、思う存分切り合おうぜ」
「じゃアそろそろはじめようか」
「やろう、行くぜ、高萩猪之松!」
「さあ抜いた、林蔵来い!」
 甲源一刀流と新影流! 勢力伯仲の二人の博徒!
 構えは同じ中段に中段!
 逸見多四郎と秋山要介と、当代一流の剣豪を、師匠に取って剣道を、正規に学んだ二人であった。
 位い取りから呼吸《いき》づかいから、正しく鋭く隙がない。
 が、若いだけに赤尾の林蔵、やや気をいらち一気に勝負と、相手の刀磨り上げ気味に、ジリジリと[#「ジリジリと」は底本では「ヂリヂリと」]進み躍り込もうとした途端、
「む――」と呻く人間の声が、どこからともなく聞こえてきた。

恩讐集合


(はてな?)と林蔵は不審を打った。
(二人の他に人はいないと思ったのに、人の呻き声が聞こえるとは)
 こう注意が外れたので、躰の構えも自ずと崩れた。
 そこを狙って猪之松が、疾風迅雷、胴へ斬り込んだ。
「どっこい!」と喚くと林蔵は、一髪の間に飛退いて、姿勢を整え構えを正した。
 もう寸分の隙もない。
 二人は互いに呼吸を計り、その間隔《あいだ》を一間とへだて、睨み合って動かなかった。
 と、又も呻き声が聞こえた。
(おや?)と不審を打ったのは、今度は高萩の猪之松で、これも注意が外れたために、自ずと構えに隙が出来た。
(得たり!)とばかり得意の諸手突で、林蔵は征矢《そや》のように突進した。
 はじめて鏘然と太刀音がしたが、これは猪之松が林蔵の刀を、左に払って右へ反《かわ》したからで、太刀音のした次の瞬間には、二人の位置が少し移ったばかりで、構えは依然として中段と中段、もう静まり返っていた。
 それにしても呻き声はどこから来るのであろう?
 二人から数間離れた位置に、薮と灌木とに覆われて、一個の大岩がころがっていたが、その陰に一人の武士が仆れてい、その武士から呻き声は来るのであった。
 蒼い月光に照らされて、乱れた髪、はだかった衣裳、傷付いた手足のその武士が、水品《みずしな》陣十郎だということが見てとられた。
 嘉門の領地の動乱から、命からがら遁れ出て、ようやくここまで歩いて来たところ、手足の負傷、心の疲労から、昏倒してしまった彼であった。
 岩のむこうで林蔵と猪之松とが、刀を交し戦っているので、目つかっては一大事、声を立てては不可《いけ》ないと思いながら、つい呻き声を上げる彼でもあった。
 嘉門の領地から遁れ出たものは、相当|夥《おびただ》しい数と見え、この一角から遥か離れた、巣山《すやま》や明山《あきやま》の中腹を、福島の方へ行くらしい、たいまつ[#「たいまつ」に傍点]の火が点々と見えた。
(どうして林蔵と猪之松とが、こんな所で斬り合っているのか?)
 勿論陣十郎には合点いかなかったが、そういうことを突詰めて考え込むほど、彼の気持は冷静でなく、彼の躰は健康でなかった。
(それにしても井上嘉門の領地での、不思議な怪奇な事件の起伏! 何と云ったらいいだろう?)
 悪党の彼ではあったけれど、このことを思えば身が震えるのであったが、悩乱状態の陣十郎には、やはりこの事も冷静な気持で、回想することなど出来なかった。
(こんな所で死んではたまらない! 早く人里へ! 早く福島へ!)
 このことばかりを思い詰め、ノタウチながら呻き声を、先刻《さっき》から上げているのであった。
 もう林蔵にとっても猪之松にとっても、呻き声など問題ではなくなっていた。
 次第に迫る呼吸《いき》をととのえ、一気に雌雄を決しようと、刻足《きざみあし》をしてジリジリと[#「ジリジリと」は底本では「ヂリヂリと」]進んだ。
 しかし又もこの折柄、意外の障害が湧き起こった。
 雑木林の間から、数本のたいまつ[#「たいまつ」に傍点]の光が射し、四挺の駕籠を取巻いて、十数人の人々が、忽然現われて来たことであった。


 井上嘉門の一団であったが、四梃の駕籠に乗っている者は、嘉門と逸見《へんみ》多四郎と、お妻とそうして東馬とであった。
「や、これは逸見先生で」
 猪之松は思わず叫ぶように云って、岩を廻って数間走った。逃げたというのでは決してなく、自分の剣道の師匠であり、日頃から無用の腕立てや、殺生を厳しく戒《いまし》められている、その逸見多四郎にこんな姿を――抜身をひっさげているこんな姿を、こんなところで見られるということが、面伏せに思われたからであった。
 しかし直ぐに思い返し、苦笑いをして足を止めた。
「そこに居るのは猪之松ではないか」
 いち早くその姿を見かけたらしく、駕籠の中から多四郎は叫んだ。
「駕籠しばらく止めるがよい」
 止まった駕籠から多四郎は出て、猪之松の方へ寄って行った。
「抜身をひっさげ何をしているのじゃ」
 云い云いこれも猪之松の横に、これも抜き身を引っさげて、これも苦笑をして佇んでいる赤尾の林蔵をジロリと見、
「そなたは赤尾村の林蔵殿じゃな」
 猪之松が数間走ったので、それに連れて自分も数間走り、猪之松が足を止めたので、自分も足を止めた林蔵は、こう云われて頭を下げ、
「逸見の殿様でございまするか、意外のところでお目にかかり、恐縮至極に存じまする」
 顔見知りの逸見多四郎だったので、こう林蔵は憮然として云った。
 多四郎の方でも林蔵の顔は、以前に見かけて知っていた。それに自分の剣道の弟子たる高萩の猪之松の競争相手――そう云うことも知っていた。で、この場の光景から、心に響くものが少なからずあった。
「猪之松」と鋭い声で云った。
「決闘《はたしあい》か? そうであろう!」
「…………」
 猪之松は頭を下げた。
「猪之松!」と又も多四郎は云った。
「決闘! それもよかろう! ……が決闘したその後において、一体どのような良いことが残るのか?」
「…………」
「決闘! 決闘……さてその結果は一人が死ぬ! ……そうだ一人は殺されるのだ! よくよくのことがなければのう、決闘などするものではない」
「…………」
「理由は何か、云ってみい」
「はい」と猪之松は神妙に云った。
「ここに居りまする林蔵の子分に、藤作と申するものがござりまするが、その者が、わたくしの賭場へ参り、乱暴狼藉いたしましたゆえ、私子分ども腹を控えかね、みんなして袋叩きにいたしましたところ……」
「賭場荒しが原因だな」
「はい、さようでござります」
「みんなして藤作を叩いたといえば、争いは五分々々というものだな」
「まあ左様でございますが……」
「では、どうしてお前たち二人、あらためてここで決闘などするのだ?」
「子分の怨みは上に立つ者の……」
「親分の怨みになるという訳か」
「そればかりでなく、ずっと以前から、林蔵と私とは犬猿もただならず……」


「そのような噂も聞いて居る、がその不和の原因も、要するに縄張りの取り合いとか、勢力争いだということではないか」
「はい左様にござります、が私共渡世人にとっては縄張りと申すもの大切でありまして……」
「一体誰から許されて、縄張りというようなものをこしらえたのじゃ?」
「…………」
「土地はお上、ご領主の物、それをなんぞや博徒風情が、自分の勢力範囲じゃの縄張りじゃのと申し居る」
「…………」
「一体お前たちは、何商売なのじゃ?」
「…………」
「無職渡世などと申しているが、お上で許さぬ博奕をし、法網をくぐって日陰において生くる、やくざもの[#「やくざもの」に傍点]、不頼漢ではないか!」
「…………」
「そういう身分のその方なら、行動など万事穏便にし、刃傷沙汰など決していたさず、謹しんでくらすのが当然じゃ! それをなんぞや決闘とは! ……猪之松、其方《そのほう》はわし[#「わし」に傍点]について剣道を学んだ者だった喃《のう》」
「お稽古いただきましてござります」
「では其方はわし[#「わし」に傍点]の弟子じゃ」
「申すまでもございません」
「直れ!」と多四
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