なるほど逸見三家」と、多四郎は云って眼を見張り、
「逸見三家の家風については、拙者も遥かに承わり居り、不思議な大尽があるものと、疑惑を感じて居りましたが、その逸見三家と埋もれた黄金と、関係ありと仰せられまするかな?」
「あるやらないやら確かのところは、私にも即座には申し上げられませぬが、……さよう即座には申し上げられぬとし、貴郎様におかれてもせっかくのご来訪、何卒長くご逗留下され、ゆるゆるそのことにつきまして、お話しすることにいたしましょう」
嘉門はここでも曖昧に云った。
奥歯に物の挿まった態度、多四郎には少なからず不愉快であったが、押して尋ねても云いそうもないと、そう思ったので後日を期することにした。
赤い提燈で道を照らし、澄江を裸馬にくくり付け、それを護った権九郎達は、無言で山道を進んで行った。
その後を慕って要介達が行った。
二里あまりも来たであろうか。その時突然行手にあたって、同じ赤い色の提燈の火が、点々といくつか見えて来た。
(おや?)と要介たちは不審を打った。
が、権九郎たちの一行は、それが予定されたことかのように、少しも驚かず又動ぜず、その火に向かってこちらの提燈を、宙にかざして振って見せた。と向こうでも答えて振った。
こうして向こうの火にこちらの火が、十数間足らず接近した時、夜ながら要介たちに行手の光景が、ぼんやりながらも見えて来た。
行手に谷があるらしい。谷には川が流れているらしい。
谷を隔てて岩で出来た、屏風のような絶壁が、垂直に高く聳えていた。
絶壁の頂に月があって、それの光でその絶壁が、肩を銀色に輝かしているのが見えた。
生地獄
1
と、その時まで黙々として、要介たちに従いて来ていた源女が、恐ろしそうな声で魘《うなさ》れるように云った。
「生地獄はそこだ、谷の底だ! そこへ行っては大変だ! 自殺するか発狂する! ……可哀そうに可哀そうに馬に乗っているお方! ……おおおおあの人をお助けしなければ!」
「やろう!」と要介が忍び音ではあるが、烈しい声でそう云った。
「切り散らして犠牲者を助けよう!」
「先生やりましょう!」と浪之助が応じた。
が、その瞬間犠牲者を守護し、裸馬を囲繞して歩いて来た人々――権九郎輩下の者共が、一斉に足を止め振り返り、鉄砲の筒口をこっちへ向けた。
要介たちの方へ差し向けた。
「しまった! 目つけられた! もう不可《いけ》ない!」
――要介がそう叫んだ途端、
ド、ド、ド、ド、ド、ド――ッと鉄砲の音が、夜の山谷にこだま[#「こだま」に傍点]して鳴り、バ、バ、バ、バ、バ――ッと筒口から出る、火花が夜の暗さを裂いた。
と、
馬の恐怖した嘶《いななき》!
見よ、犠牲者をくくりつけたまま、例の裸馬が谷口を目がけ、まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に馳せて行くではないか!
「あッ、あッ、あッ、もう不可ない! あの人も生地獄へ追いやられた! 妾《わたし》のように! 昔の妾のように!」
源女は叫んで地団太を踏んだ。
果敢! 馬は谷底さして、なだれ[#「なだれ」に傍点]のように落ちて行った。
鉄砲は決して要介たちを認め、要介たちを撃ち取ろうとして、発射されたものではないのであった。
馬を驚かせて犠牲者諸共、谷底へやるために撃ったものなのであった。
それは空砲に過ぎなかったのである。
後は寂然!
シ――ンとしていた。
と、権九郎達の一団が、今は馬もなく犠牲者も持たず、手ぶらの姿で赤い提燈を、ただブラブラと宙に振って、もと来た方へ引っ返す姿が、要介たちの眼に見えた。
木陰にかくれて見送っている、その要介たちの横を通って、その一団の去った後は、四辺《あたり》寂々寥々としてしまった。
と、要介は浪之助へ云った。
「とうとう犠牲者を助け損なったが、これも運命仕方がない。……が、それは仕方ないとして、生地獄の光景を見ようではないか」
「それがよろしゅうございます」
「源女殿もおいでなされ」
「妾は厭でござります」
恐ろしかった過去のことを、その場へ臨むことによって、ふたたび強く思い出すことを、恐れるという心持から、そう源女は震えながら云った。
「さようか、では源女殿には、そこにてお待ちなさるがよろしい」
云いすてて要介は浪之助ともども、谷の下口へ足を向けた。
と、先刻現われて、権九郎達の赤提燈に対し、応えるように振られたところの、例の幾個かの赤提燈が、見れば谷の下口の辺りに、建てられてある番小屋らしいものの、その中から又現われて来た。
「誰だ、これ、近寄ってはならぬ! 近寄ると用捨なく撃ち取るぞ!」
赤提燈の中から声が来た。
鉄砲を向けている姿が見えた。
2
馬が斜面を駈け下る間に、くくられていた綱が[#「綱が」は底本では「網が」]切れ、澄江は地上へ振り落とされた。
馬と前後して谷の斜面を、底へ向かって転落した。
何と奇怪にも谷の斜面が、柔らかくて滑らかで、ほとんど土とは思われないではないか!
こうして澄江は微傷《びしょう》さえ負わず、谷の底へ落ちついた。
と、眼の前を落ちて来る馬の、気の毒な姿が通って行ったが、底へ着くと立ち上り、立ち上ったが恐怖のためであろう、高い嘶をあげながら、前方へ向かって走りつづけた。
月光をうけて銀箔のように輝いて見える川があった。
そう、前方に川があった。
と、その川まで駈けて行った。
馬は川へ飛び込んだ。(泳ぐかな?)
と澄江は思った。
浅いと見えて五歩十歩、二十歩あまり歩いて行った。
と、どうだろう歩くに従い、馬は次第に小さくなって行った。
そうしてやがて歩かなくなった。
身長《せい》が大変低くなって見えた。
と、馬は首を長く延ばし、悲劇を無言で眺めている月に向かって顔を向けたが、悲しそうに幾度か嘶いた。
だんだん身長が低くなって行く。
やがてとうとう馬の姿が川の面から消えてしまい、漣《さざなみ》も立てずにどんより[#「どんより」に傍点]と、流れるともなく流れている、そういう水面《みずも》には月光ばかりが銀の延板のそれかのように、平らに輝いているばかりであった。
川巾は随分広かった。
そうして対岸には屏風のような、切り立った高い断崖が、険しく長く立っていた。
澄江はゾッと悪寒を感じた。
(どうして馬は沈んだろう?)
もしその川が深かったら、馬は泳いで行くはずである。
もしその川が浅かったら、馬は歩いて渡るはずである。
それだのに沈んでしまった。
(おお川は底無しなのだ!)
そう、それに相違ない。
水そのものは浅いのであるが、底は泥の堆積で、幾丈となく深いのだ。で、そこへ踏み入ったものは、その泥に吸い込まれ、永久沈んでしまうのだ。
ゾッと澄江は悪寒を感じた。
(川を越しては逃れられない)
澄江はフラフラと立ち上った。
それから自分が転がり落ちて来た、山の斜面を振り仰いで見た。
斜面は洵《まこと》になだらかで、一本の木立も、一つの丘も、一つの岩も、何もなかった。
下口《おりくち》までは高く遠く、容易に達しがたく思われたが、上るには難なく思われた。
澄江は斜面を上り出した。
すぐツルリと足が辷《すべ》り、たちまち谷底まで追い返された。
(おや)と思いながら又上った。
一間あまり上ったかと思うと、非常に気持よく非常に滑らかに、スルスル谷底へ辷り落ちた。
(まあどうしたというのだろう?)
澄江には不思議でならなかった。
で、土を取り上げて見た。
それは土ではないようであった。カラカラと乾いて脆くなってはいたが植物の茎や葉のようであった。
植物の茎や葉が永い年月、風雨霜雪に曝された結果、こまかいこまかい砂のようになったもの! それのように思われた。
そういう物が斜面を厚く、そうして高く蔽うているのだ。――
で、その上へ人が乗れば、重さに連れてそれが崩れ、どこまでも無限に崩れ崩れて、人を下へ辷り落とす!
(では上って行くことはできない!)
又ゾッと澄江は悪寒を感じた。
3
(ではもう一度|験《ため》して見よう)
こう思って澄江はまた上り出した。
と、背後から笑う声がした。
驚いて澄江は振り返って見た。
いつの間にどこから来たものか、五六人の人間が、数間《すうけん》離《はな》れた一所に、一緒に塊まって立っていた。
月光の中で見るのであるから、ハッキリしたところは解《わか》らなかったが、その中には女もい、老人も若者もいるようであった。
何より澄江を驚かせたのは、その人達が痩せていることで、それはほとんど枯木のようであり、枯木が人間の形をしてい、それが襤褸屑《ぼろくず》を纏っている。――そう云ったように痩せていることであった。
そう、衣裳は纏っていた。が、その衣裳は形のないまでに、千切れ破れているのである。
物の書《ほん》で見た鬼界ヶ島の俊寛《しゅんかん》! それさながらの人間が、そこに群れているのである。
「駄目だよ、娘っ子、上れやアしねえ。いくら上っても上れやしねえ」と、その中の一人がカサカサに乾いた、小さな、力の弱い、しめ殺されるような、不快な声でそう云った。
「秣《まぐさ》の山だ、なア娘っ子、お前が一所懸命上ろうとしているそいつ、そいつア秣の山なんだ。秣の山の斜面なんだ。……乗れば辷る、足をかければ辷る。二間と上った者アねえ。無駄だから止めにしな」
「アッハッハッ」
「ヒッヒッヒッ」
「フッフッフッ」
「ヘッヘッヘッ」
みんなが揃って笑い出した。
嘲ったような、絶望したような、陰険そうな、気の毒がったような、気味の悪い厭アな笑声であった。
澄江は地獄の亡者に逢った! ――とそんなような思いに等しい、恐怖と不気味とを感じながらも、この境地には自分一人だけしか、居ないものと今まで思っていたのに、他にも人のいることを知り、この点何と云っても心嬉しく、急いでそっちへ小走って行った。
「どういうお方々かは存じませぬが、妾は井上嘉門という……」
「解っているよ解っているよ」と、その中の一人の老人が――片眼つぶれている老人が、澄江にみんな話させようともせず、
「俺らもそうなんだ。恐ろしい主人に、井上嘉門殿に、いやいやいや、殿じゃアねえ、鬼だ魔物だ、その魔物の嘉門めに、この生地獄へ放り込まれた、生き返る望みのねえ亡者なのさ。お前さんだってそうだろうとも、嘉門めにここへ落とされたんだろうとも。……見りゃア奇麗な娘っ子だ、どうしてここへ落とされたか、その理由《わけ》も大概わかる。……嘉門の云うことを聞かなかったんだろうよ。……以前《まえ》にもそんな女があった。……源女とかいう女だった。……」
「お爺さん」と澄江は云って、縋るような気持で訊ねて見た。
「ここはどこなのでございます? どういう所なのでございます?」
「処刑場《おしおきば》だ、人捨場だ! 嘉門の云い付けに背いた者や、廃人になって役に立たなくなった者を、生きながら葬る墓場でもある」
「恐ろしい所なのでございますねえ」
「一緒においで、従《つ》いておいで、ここがどんなに恐ろしい所だかを、例をあげて知らせてあげよう」
片眼の老人は歩き出した。
と、その余の亡者餓鬼――亡者餓鬼のような人間たちも、だるそう[#「だるそう」に傍点]に、仆れそうに、あえぎあえぎ、その後から従いて来た。
蒼澄んで見える月光の中に、そういう人達が歩いて行く姿は、全く地獄変相図であった。
と、一本の木の下に来た。
一人の若者がブラ下っていた。
4
首をくくって死んでいるのであった。
片眼の老人は説明した。
「二十日ほど前に来たお客さんなのさ。嘉門の可愛がっているお小間使いと、ちちくり合ったのが逆鱗に[#「逆鱗に」は底本では「逆燐に」]ふれて、ここへぶちこまれた若造なのだ。女が恋しいの逃げ出したいのと、狂人のように騒いでいたが、とうてい逃げられないと見当をつけると、野郎にわかにおとなしくなってしまった。と、今朝がた首を釣ってしまった。……首を釣る奴、川へ沈む奴、五日に一人十日に一
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