なるものは、一体どこにあるのだろう?
 ほとんど見当がつかない程であった。
 が、その屋敷はこの一劃の奥、北詰の地点にあるのであって、その屋敷にはその屋敷に属する、石垣があり門があった。
 要介に杣夫が話した話、「ご門をお入りになってから、主屋の玄関へ行きつくまでに、十町はあるということで」と。
 これはこの門からのことなのであった。
 が、総体の嘉門の屋敷、周囲三里あるというこの屋敷の、雄大極まる構えと組織は、何も珍しいことではなく、昭和十七年の今日にあっても、飛騨の奥地や信州の奥地の、ある地方へ行って見れば、相当数多くあるのである。新家《しんや》とか分家《ぶんけ》とかそういう家を、一つ所へ八九軒建て、それだけで一郷を作り、その家々だけで団結し、共同の収穫所《とりいれしょ》や風呂などを作り、祭葬冠婚の場合には、その中での宗家へ集まり、酒を飲み飯を食う。
 白川郷など今もそうである。
 で、嘉門家もそれなのであるが、いかにも結構が雄大なので、驚かされるばかりなのであった。
 宗家の当主嘉門を頭に、その分家、その新家、分家の分家、新家の新家、その分家、その新家――即ち近親と遠縁と、そうし
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