男もお組や秋山要介と、深い関係があるようだが、その関係はどんなんだろう?
(どっちみち今日は変な日だった)
 浪之助はそんなことを思いながら、まだ酔っている熱い頬を、夜に入って青葉の匂いを増した、さわやかな風に吹かせながら、樹木多く人家無く、これが江戸内かと疑われるほど、寂しい凄いお茶の水の境地を、微吟しながら歩いて行った。
 遅く出た月が空にあったが、樹木が繁っているために、木洩れの月光がそこここへ、光の斑《ふち》を置いているばかりで、あたりはほとんど闇であった。
 不意に行手で閃めくものがあり、悲鳴がそれに続いて聞こえた。
 ギョッとして浪之助は足を止めた。
(切られたらしい)と直感された。
(横へ逸れて行ってしまおうか)
 ふとそんな気も起こったが、町人とは違い武士であった。
(卑怯な)と思い返して走って行った。
 香具師《やし》――それも膏薬売らしい、膏薬箱を胸へかけた男が、右の胴から血を流し、その血の中に埋もれて居り、そうした死骸を見下ろしながら、一人の武士がその前に佇み、一人の女がその横にいて、血刀を懐紙で拭っているという、凄惨無慈悲の光景が、巨大な棒のように射して来ている
前へ 次へ
全343ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング