付を渡して草履を突っかけた。
「源女さんのお部屋は一番奥で」
「そうかい」と浪之助は歩いて行った。
 書割だの大道具だのが積み重ねてある、黴臭い薄暗い舞台裏を通り、並んでいる部屋々々の暖簾《のれん》の前を通り、一番奥の部屋の前へ立った。
 長い暖簾を掲げて入った。
 衣装|籠《つづら》に寄りかかりながら、裃をさえ取ろうともせず、源女はグッタリと坐っていた。
「お組、わしだ[#「わしだ」に傍点]」と浪之助は云った。
 と、源女は閉じていた眼を、さもだるそうに[#「だるそうに」に傍点]細目をあけたが、
「浪之助様。……存じて居りました」
 そう云ってまたも眼をとじた。
 衰弱していると云ってもよく、冷淡であると云ってもよい、極めて素気ない態度であった。
 立ったまま坐りもせず、そういう昔の恋人の、源女の様子を眺めながら、浪之助は意外さと寂しさと、多少の怒りとを心に感じた。


「知っていたとは? ……何を知って?」
「桟敷にお居でなされましたことを」
 眼をとじたまま云うのであった。
「では舞台で観ていたのか」
「ええ」と源女は眼をあけた。
「浪之助様がお居でになる。――そう思って見て居
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