一歳の猪之松は、色白で大兵で、品の備わった立派な男で、博徒などとは見えなかった。高い太い鼻は凜々しかったが、小さい薄い唇は、子供のように初々しく、女などにはどうにも愛されそうであった。結城《ゆうき》の衣装に博多《はかた》の帯、鮫鞘《さめざや》の長脇差を差している。
後の五人は乾児であり、もう一人は浪人らしい武士であった。
馬大尽井上嘉門を、乾児達へ出迎えさせ、定宿明石屋へ送り届け、自分も行って挨拶をし、上尾へ出て来たついでとあって、乾児を連れて山城屋へ行き、この頃深間になったお山を揚げ、一夜遊んでの帰途であった。
六地蔵の前までやって来た時、木陰から林蔵が現われた。
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「高萩の、ちょっと待ってくれ」
林蔵は正面から声をかけた。
「おお、これは赤尾のか、どうして今頃こんな所に?」
猪之松はちょっと驚いたように、足を止めてそう云った。
「何さ昨夜《ゆうべ》上尾へ行って、陽気に騒ごうと思ったところ、馬大尽が山城屋に来ていて、表を閉めての多々羅遊び、そこでこっちはすっかり悄気《しょげ》、つまらねえ所へ上ってしまい、面白くもねえところから、夜の引き明けに飛び出して、野面の景色を見ていたってわけさ。……見ればお前さんも朝帰りらしいが、上尾へでも行ったのかえ」
「うむ」と猪之松は苦い顔をし、当惑らしくそう云ったが、
「実は俺らもその通り、上尾へ行って遊んだが、面白くもねえ待遇を受け、業を湧かしての帰り道さ。いやすっかり懲りてしまった」
「あんまり懲りてもいないようだが……そうしてどこへ上ったのかな?」
「楼《うち》か、楼は、ええと笹屋だ」
「へえ、こいつは面妖だな。俺らの上ったのも笹屋だが、お前さんの噂は聞かなかったぜ」
「はてな、それじゃア違ったかな」
「大違いの真ン中だろう。……まあそんなことはどうでもいい。そこで高萩の相談がある。聞けばお前さんは小川宿の、逸見《へんみ》多四郎先生の、直弟子で素晴らしい手並とのこと、以前から一度立合って、教えを受けたいと思っていた。ここで逢ったは何より幸い、あまり人通りも無さそうだから、迷惑だろうが立合ってくれ」
「ナニ立合え? ……剣術の試合か?」
「それも是非とも真剣で」
「真剣勝負?」
「命の遣り取り!」
「…………」
猪之松は無言で眼を見張った。
しかし心では考えた。
(お山との関係を知ったらしい。そのお山だがこっちから手を出し、横取りしたというのではない。向こうからお膳を据えたので、林蔵との関係は知っていたが、そこは売物買物だ。こだわらずに膳を食べたまでだ。とはいえ林蔵の身になってみれば、気持のいいことはあるまいよ。……そんなお山のことばかりでなく、従来縄張りの争いから、気持の悪いことばかりが、双方の間にあったはずだ。そこで林蔵はその葛藤を、今日一気に片付けようと、てい[#「てい」に傍点]のいい真剣の試合に事寄せ、俺を討取ろうとするのだな)
ただし猪之松は昨夜山城屋が、林蔵に戸閉めをくれた上、馬大尽が来ているなどと、嘘を云ったというようなことは、夢にも知ってはいなかった。というのは山城屋の若衆の、それは勝手のあつかいだったからで。猪之松はあの晩お山の頼みで、総仕舞いをしてやったばかりなのであった。
「どっちみち何時《いつ》かは俺と林蔵とは、命の遣り取りをしなければならねえ、そこ迄の事情に逼っている。と云ったところでこんな往来で、しかもこんな朝っぱらに、試合などに事寄せられて、勝負をするのは気色が悪い、ここは一先ず避けることにしよう」
林蔵よりは年長であり、思慮も熟している猪之松だったので、そう腹を定めると笑顔を作って云った。
6
「いかにも俺は逸見《へんみ》先生から、剣術を仕込まれてはいるけれど、聞けばどうしてお前さんこそ、剣道にかけては鬼神と呼ばれる、秋山要介先生から、極意を授かっているとのこと。とても俺など敵いそうもない。まあまあ試合はお預けとしようよ」
「それじゃア何かな……」と林蔵は、少し急き込み進み出た。
「勝負はしねえとこういうのか?」
「そうさ、勝負は、いずれその中、盆蓙《ぼんござ》の上でするとしよう」
「ほほうそれじゃア博奕打は、盆蓙の上で勝ちさえすりゃア真剣勝負には及ばねえと、こうお前さんは云いなさるのか」
「まあそういったところだろう。無職渡世の俺らには、何より賽コロの勝負が大事、刃物三昧は二の次さ」
猪之松は冷やかに云い放し、口をゆがめて嘲るように笑った。
林蔵はいよいよ急き立ったが、グッと抑えてこれも嘲笑し、
「そうかお前さんがそういうふうなら、真剣勝負は止めにしよう。がその代り今日これから、高萩の猪之松は渡世に似合わず、刃物を恐れる卑怯者、赤尾林蔵の手並に怯え真剣勝負を拒断《ことわ》ったわと、関東一円触れ廻っても、決して苦情は云うまいぞよ」
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