よりいつもいつも、心に執拗にこびりついている歌、例の歌を唄ってしまうと、彼女は恍惚《うっとり》と考え出した。こういう場合に彼女の脳裡へ、幻影のように浮かんで来るのは、大森林、大渓谷、大きな屋敷、大傾斜面、五百頭千頭もの放馬の群、それを乗り廻し追い廻し、飼養している無数の人、そうしてあたかも酒顛童子のような、長髪赧顔の怪異の老人――等々々のそれであった。
しかし彼女はそういう所が、どこにあるかは知らなかった。そうしてどうしてそういう光景が、浮き出して来るかも知らなかった。とはいえ彼女はそういう光景の場所の、どこであるかを確かめなければならない、そうして是非ともその光景の場所へ、どうしても自身行かなければならないと、そんなように熱心に思うのであった。がそれとて自分自身のために、その場所を知ろうとするのでもなく、又行こうとするのでもなく、自分の難儀を救ってくれた人秋山要介という人のために、知りたい行きたいと思うのであった。
浮かんで来る幻影を追いながら、今も彼女は思っていた。
(行かなければならない、さあ行こう!)
で、彼女は立ち上った。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]昔はあったということじゃ
昔はあったということじゃ
[#ここで字下げ終わり]
又彼女は口ずさんだ。
そうして大薮を分けながら、大薮の外へ出ようとした。
その大薮の外側には、以前から彼女を狙っている吸血鬼水品陣十郎が、抜身を提げて立っているはずである。
10[#「10」は縦中横]
後《あと》へ下った陣十郎は、刀を下段にダラリと下げ、それでも眼では油断なく、主水の眼を睨みつけ、歌主の在所《ありか》がどこであるかと、瞬間それについて考えた。
周囲《あたり》には大薮があるばかりで、その他は展開《ひら》けた耕地であり、耕地には人影は見えなかった。
声から云っても歌の性質《たち》から云っても、歌ったのは源女に相違ない。
が、源女などはどこにもいない。
(さては自分の空耳かな?)
それにしても余りに明かに、歌声は聞こえてきたではないか。
源女だ源女だ歌ったのは源女だ!
かつて一旦手に入れて、薬籠の物にしはしたが、その持っている一大秘密を、まだ発見しないうちに秋山要介に横取りされた女! お組の源女に相違ない!
探して探して探し廻ったあげく、江戸は両国の曲独楽の席で、ゆくり
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