ドップリ胴へ入るだろう! と、完全の胴輪切り!
その序の業が行なわれた。
釣られた釣られた主水は釣られた! あッ、踏み出して切り込んだ。
一閃!
返った!
陣十郎の刀が、軽く宙で車に返った!
ハ――ッと主水! きわどく反わせたが……
駄目だ!
見よ!
次の瞬間!
さながら怒濤の寄せるが如く、刀を返しての大下手切りだ――ッ!
「ワッ」
悲鳴!
血煙!
血煙!
いやその間に、一髪の間に――大下手切りの行なわれる、前一髪の際どい間に……
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]秩父の郡《こおり》、小川村、
逸見《へんみ》様庭の桧の根
[#ここで字下げ終わり]
そういう女の歌声が、手近かの所から聞こえてきた。
「あッ」と陣十郎は刀を引き、タジタジ[#「タジタジ」は底本では「タヂタヂ」]と数歩背後へ下った。
9
無心に歌をうたいながら、源女は大薮の中にいた。
いつも時々起こる発作が、昨夜源女の身に起こった。そこでほとんど夢遊病患者のように、赤尾村の林蔵の家を脱け出し、どこをどう歩いたか自分でも知らず、この辺りまで彷徨《さまよ》って来、この大薮で一夜を明かし、たった今眼醒めたところであった。
まだ彼女の精神は、朦朧としていて正気ではなかった。
島田の髷が崩れ傾《かしが》り、細い白い頸《うなじ》にかかってい、友禅模様の派手な衣裳が、紫地の博多の帯ともども、着崩れて痛々しい。素足に赤い鼻緒の草履を、片っぽだけ突っかけている。夜露に濡れたため衣裳はしおたれ[#「しおたれ」に傍点]、茨や木の枝にところどころ裂かれ、手足も胸元も薮蚊に刺され、あちこち血さえ出していた。
そういう源女は身を横倒しにし、草の上に延びていた。秋草の花――桔梗や女郎花や、葛の花などが寝ている源女の、枕元や足下に咲いていた。栗色の兎がずっと離れた、萩の根元に一匹いて、源女の方を窺っていた。
彼女の頭上にあるものといえば、樺や、柏や、櫟《くぬぎ》や、櫨《はぜ》などの、灌木や喬木の枝や葉であり、それらに取り縋り巻いている、山葡萄や蔦や葛であり、そうしてそれらの緑を貫き、わずかに幽かに隙《す》けて見える、朝の晴れた空であった。
薮を透して日の光が、深い黄味を帯びて射し込んで来ていて、地上の草や周囲《まわり》の木々へ、明暗の斑《ふち》を織っていた。
無心――という
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