くのであった。
 どっちへ向かって歩いているのか、陣十郎には解《わか》らなかった。
 師匠の逸見《へんみ》多四郎によって「逆ノ車」が破られたことそのことばかりを考えていた。
 月はあったが山路には巨木、……大木老木權木類が、空を被い四辺《あたり》を暗め、月光を遮っているがために、二人の姿は外方《よそ》から見ては、ほとんど見ることが出来なかった。
 時もかなり経っていた。
(逸見先生があのような所に、どうしてお居でなされたのだろう?)
 このことも気にはかかっていたが、それより必勝不敗の術と、自信していた自己の創始の「逆ノ車」を破られた――このことばかりが不安にも恐ろしくも、情無くも思われるのであった。
 まだ破門をされない前に、多四郎の道場で多四郎を相手に、数回「逆ノ車」をもって、立合ったことがあったのであり、そのつど陣十郎が勝ちを取るか、でなかったら相打ちとなった!
 それだのに今夜という今夜に限り、物の見事にひっ外されてしまった。
(あの時先生に打つ気さえあって、一歩踏み込んで切られたら、俺は真ッ二つにされたはずだ)
(「逆ノ車」を破られては、俺に勝目はほとんどない。破った先生がそれからそれと、その手を人々に伝えたら、俺は手も足も出なくなる)
 これが彼には恐ろしいのであった。
(それともあの時俺の腕が、いつもより鈍っていたがために「逆ノ車」は使ったが、使い方が精妙でなく、それで一時的に外されたのだろうか? もしそうならまだ安心だ)
(では……)と陣十郎は惨忍に思った。
(誰かを、どいつかを、「逆ノ車」で、充分練って用意して、切って切れたら! 切って切れたら!)
 自信がつく!
 そう思った。
(よ――し、どいつかを切ってやろう?)
(誰を?)と思った時主水のことが、瞬間脳裏に閃いた。
(うむ、こいつを切ってやろう!)
 悪人の本性が甦ったのであった。
(思ってみれば主水という奴、危険至極の道連れだった。俺を敵《かたき》と狙う奴だった。そうしていつかはこいつのために、俺は討たれるはずだった。……討たれてなろうか、何を馬鹿な! ……俺も何という男だったろう、いずれこの男に討たれてやろう――などとそんなことを思っていたとは。……それに人心は変わるものだ。俺の心が変わるように。……で、主水め心が変わり、俺の寝息をうかがって、寝首掻かないものでもない。……よ――し、この
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