、彼らの騒動は静まった。
「さあさあ入って見るがいい。家の中へ入って見るがいい」
こう云って老人は澄江を連れて、岩窟の中へ入って行った。
入って真っ先に驚いたのは、何とも云われない悪臭であった。
不浄の匂い、獣皮の匂い、腐肉の匂い、襤褸《ぼろ》の匂い――、いろいろの悪臭が集まって、一つになった得もいわれない悪臭、それがムッと鼻へ来て、澄江は嘔吐を催そうとした。
岩窟の中は寒かった。
凍《こご》えそうなほどにも寒かった。
暗く、低く、狭くもあった。
ところどころに火が燃えていた。
住人が焚火をしているのであった。その周囲に集まったり、岩壁の裾に寝たりして、意外にたくさんの人間がいた。
この時二三人の者が嗄《しわが》れた声で、鼻歌をうたうのが聞こえてきた。
[#ここから3字下げ]
秩父の郡小川村
逸見様庭の桧の根
むかしはあったということじゃ
いまは変わって千の馬
五百の馬の馬飼の
木曾の馬主山主の
山の奥所も遥かなる
秣の山や底なしの
川の中地の岩窟の
御厨子《おずし》[#ルビの「おずし」は底本では「おづし」]に籠りあるという
移り変わるがならわしじゃ
命はあれど形はなく
形は本来地水火じゃ
三所に移り元に帰し
命はあれど形はない
[#ここで字下げ終わり]
それはこういう歌であった。
「お爺さん」と澄江は云った。
「あの歌、何でございますの?」
「誰も彼もうたう歌なのじゃ、……この辺りではちっとも珍らしくない。……所在ないからうたうのさ……ずっと昔からある歌で、意味もなんにもないのだろうよ」
「この岩窟深いのでしょうか?」
「深いそうだ、深いそうだ。が誰もが行ったものはない。行ったものがないということだ。……わしだけは相当奥まで行った。だが中途で引っ返してしまった。……恐ろしいと云おうか凄いと云おうか、あらたかと云おうか何と云おうか、どうにも変な気持がして、とうとう引返してしまったのさ。……人柱が立っているんだからなア……骸骨なんだ、本当の骸骨! ……そっくり原形を保っている奴だ。そいつが岸壁の右にも左にも、ズラリと並んでいやがるじゃアないか」
悪人還元
1
陣十郎は黙々として、山路に向かって歩いていた。
後から主水が従《つ》いて行ったが、これも黙々として物を云わなかった。
嘉門の大屋敷の構内から出、あて[#「あて」に傍点]なしに歩いて行
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