つけられた! もう不可《いけ》ない!」
 ――要介がそう叫んだ途端、
 ド、ド、ド、ド、ド、ド――ッと鉄砲の音が、夜の山谷にこだま[#「こだま」に傍点]して鳴り、バ、バ、バ、バ、バ――ッと筒口から出る、火花が夜の暗さを裂いた。
 と、
 馬の恐怖した嘶《いななき》!
 見よ、犠牲者をくくりつけたまま、例の裸馬が谷口を目がけ、まっしぐら[#「まっしぐら」に傍点]に馳せて行くではないか!
「あッ、あッ、あッ、もう不可ない! あの人も生地獄へ追いやられた! 妾《わたし》のように! 昔の妾のように!」
 源女は叫んで地団太を踏んだ。
 果敢! 馬は谷底さして、なだれ[#「なだれ」に傍点]のように落ちて行った。
 鉄砲は決して要介たちを認め、要介たちを撃ち取ろうとして、発射されたものではないのであった。
 馬を驚かせて犠牲者諸共、谷底へやるために撃ったものなのであった。
 それは空砲に過ぎなかったのである。
 後は寂然!
 シ――ンとしていた。
 と、権九郎達の一団が、今は馬もなく犠牲者も持たず、手ぶらの姿で赤い提燈を、ただブラブラと宙に振って、もと来た方へ引っ返す姿が、要介たちの眼に見えた。
 木陰にかくれて見送っている、その要介たちの横を通って、その一団の去った後は、四辺《あたり》寂々寥々としてしまった。
 と、要介は浪之助へ云った。
「とうとう犠牲者を助け損なったが、これも運命仕方がない。……が、それは仕方ないとして、生地獄の光景を見ようではないか」
「それがよろしゅうございます」
「源女殿もおいでなされ」
「妾は厭でござります」
 恐ろしかった過去のことを、その場へ臨むことによって、ふたたび強く思い出すことを、恐れるという心持から、そう源女は震えながら云った。
「さようか、では源女殿には、そこにてお待ちなさるがよろしい」
 云いすてて要介は浪之助ともども、谷の下口へ足を向けた。
 と、先刻現われて、権九郎達の赤提燈に対し、応えるように振られたところの、例の幾個かの赤提燈が、見れば谷の下口の辺りに、建てられてある番小屋らしいものの、その中から又現われて来た。
「誰だ、これ、近寄ってはならぬ! 近寄ると用捨なく撃ち取るぞ!」
 赤提燈の中から声が来た。
 鉄砲を向けている姿が見えた。


 馬が斜面を駈け下る間に、くくられていた綱が[#「綱が」は底本では「網が」]切れ、
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