あろう!
と、嘉門にとらえられた。
そうして今はこの有様だ!
いよいよ数奇と云わざるを得ない。
(どうなとなれ、どうなろうとまま[#「まま」に傍点]よ)
観念せざるを得ないではないか。
(が、この厭らしい馬飼の長に躰を穢される時節が来たら、舌噛み切って妾は死ぬ!)
こう決心をしているのであった。
そうしっかり決心している彼女は、外見《よそめ》には蝦蟇に狙われている、胡蝶さながらに憐れに不憫に、むごたらしくさえ見えるけれど、心境は澄み切り安心立命、すがすがしくさえあるのであった。
短い沈黙が二人の間にあった。
「いかがでござりますな。澄江様」
嘉門はネットリとやり出した。
「この老人の可哀そうな望み、かなえさせては下さりませぬかな。……いやもうこういう老人になると若い奇麗なご婦人などには、金輪際モテませぬ。そこで下等ではござりまするが、金の力で自由《まま》にします。……お見受けしたところ貴女《あなた》様は、武家の立派なお嬢様で、なかなかもちまして私などの、妾《めかけ》てかけ[#「てかけ」に傍点]になるような、そんなお方では決してない、ということは解《わか》っていますじゃ。……それだけに私の身になってみれば、自分のものに致したいので。……で、お願いいたしますじゃ。……可哀そうな老耄《おいぼ》れた老人を、功徳と思って喜ばせて下されとな。……その代わりお前さまが何を望もうと、金ずくのことでありましたら、ヘイヘイ何でも差し上げまする」
またパクリと莨を喫った。
8
「なりませぬ」と澄江は云った。
先刻からじっと辛棒して、黙って、聞いていた澄江であったが、この時はじめてハッキリと云った。
「貴郎《あなた》様のお心に従うこと、決して決してなりませぬ!」
言葉数は少なかったが、毅然とした態度冷然とした容貌に、動かぬ心を現わして、相手を圧してそう云った。
「ふうむ」と嘉門は唸り声を上げた。
勿論この女、烈女型で、尋常に口説いて落ちるような、そんな女ではあるまいと、そういうことは推《すい》していたが、今の返事とその態度とで、それがこっちの想像以上に、しっかり[#「しっかり」に傍点]しているということを瞬間看取したからであった。
がぜん嘉門の様子が変わった。
薄気味の悪い、惨忍な、しかも陰険執拗な、魔物めいた様子に一変した。
それでいて言葉はいよいよ柔かく
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