いかに私が田夫野人でも、何で本気で婦人に対し、あのような所業に及びましょうぞ。あれは高萩の猪之松どんの乾児衆のやった仕事なので。ただ私はゆきがかりで、そいつをご馳走にあずかろうと、心掛けたばかりでございますよ。が、それさえ不所存至極! そこで平にあやまります。何卒ご用捨下さりませ……さてこれで以前《むかし》のことは、勘定済みとなりました。次は将来《これから》のご相談で。……ところでちょっとご相談の前に、申さねばならぬことがありますのでな。……」


 ここで嘉門は莨《たばこ》を喫《の》んだ。
 持ち重りするような太い長い、銀の煙管《きせる》を厚い大きい、唇へくわえてパクリと喫《す》い、厚い大きい唇の間から、モクリモクリと煙を吐いた。
 どうしても蝦蟇が空に向かって、濛気を吐くとしか思われない。
「何かと云いますに私という人間、一旦やろうと思い立った事は、必ずやり通すということで!」
 うまそうに莨を一喫みすると、そう嘉門はネットリと云った。
 さよう、嘉門はネットリと云った。
 が、そのネットリとした云いぶりは、尋常一様の云いぶりではなく、馬飼の長、半野蛮人の、獰猛敢為の性質を見せた、ゾッとするような云いぶりなのであった。
「では私今日只今、どんなことをやろうと思っているかというに、澄江様とやらいうお前さまを、よう納得させた上で、私の心に従わせる! ……ということでござりますじゃ」
 云って嘉門は肩にかかっている、その長髪をユサリと振り、ベロリと垂れている象のような眼を、カッと見開いて澄江を見詰めた。
 澄江はハ――ッと息を飲んだ。
 その澄江はもう先刻《さっき》から、観念と覚悟とをしているのであった。
 思えば数奇の自分ではある! ……そう思われてならなかった。
 上尾街道で親の敵《かたき》と逢った。討って取ろうとしたところ、博労や博徒に誘拐《かどわか》された。そのあげく[#「あげく」に傍点]に馬飼の長の、人身御供に上げられようとした。と敵に助けられた。親の敵の陣十郎に! ……これだけでも何という、数奇的の事件であろう。しかもその上その親の敵に、親切丁寧にあつかわれ、同棲し旅へまで出た。夫婦ならぬ夫婦ぐらし! 数奇でなくて何であろう。
 追分宿のあの騒動!
 義兄《あに》であり恋人であり、許婚《いいなずけ》である主水様に、瞬間逢い瞬間別れた!
 数奇でなくて何で
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