。……身遁してやる、早く立ち去れ」
声の様子でその人物が、武士であることには疑いなかった。
主水の耳へ口を寄せ、陣十郎は囁いた。
「俺がやる。お前は見て居れ……ちと彼奴《あいつ》手強いらしい」
「うむ」と主水は頷いた。
陣十郎はソロッと出た。
既に刀は抜き持っている。
それを暗中で上段に構え、一刀に討ち取ろうと刻み足して進んだ。
「来る気か」と先方の男が云った。
「可哀そうに……あったら命を……失わぬ先に逃げたがよかろう」
あくまでも悠然とおちついていた。
陣十郎はなお進んだ。
勿論返辞などしなかった。
「そうか」と先方の武士が云った。
「どうでも来る気か、止むを得ぬの。……では来い!」と云って沈黙した。
疾風《はやて》! 宛然《さながら》! 水品陣十郎! 二つになれと切り込んだ。
が、春風に靡く柳條! フワリと身を反わした一瞬間、引き抜いた刀で横へ払った武士!
陣十郎はあやうく飛び退き、大息を吐き身を固くした。
何たる武士の剣技ぞや!
品位があってふくらみ[#「ふくらみ」に傍点]があって、真に大家の業であった。
(ふ――ん)と陣十郎は感に堪え、また恐ろしくも思ったが、
(ナーニ、こうなりゃこっちも必死、必勝の術で「逆ノ車」で……)
見やがれとばかり中段に構え、闇の大地をジリジリと[#「ジリジリと」は底本では「ヂリヂリと」]刻み、除々にせり[#「せり」に傍点]詰め進んで行ったが、例の如くに水の引くように、スーッと刀を左斜めに引き、すぐに柳生の車ノ返シ、瞬間を入れず大下手切り!
が、
鏘然!
太刀音があって……
美事に払われ引っ外され、続いて叫ぶ武士の声がした。
「『逆ノ車』! さては汝《おのれ》、陣十郎であったか、水品《みずしな》陣十郎! ……拙者は逸見多四郎じゃ! ……師に刃向こうか、汝悪逆!」
「あッ! ……しまった! ……主水逃げろ!」
木間をくぐって盲目滅法に、逃げ出した陣十郎の後につづき、主水も逃げて闇に没した。
「まあ陣十郎さんに主水さん!」
すぐに女の驚きの声が、逸見多四郎の背後《うしろ》から聞こえた。
「お妻殿ご存じか?」
「はい。……いいえ。……それにしても……」
「それにしても、うむ、それにしても、あの恐ろしい悪剣を……『逆ノ車』をどうして破ったか?」
呟き多四郎は考え込んだ。
(それにしても)とお妻も考
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