避けているからである。

 木曽福島へやって来たものの、逸見多四郎は馬市そのものに、何の関心も執着もなく、執着するところは埋ずもれた巨宝、それを手に入れることであった。
「お妻殿」と旅籠の座敷で多四郎は優しく微笑して云った。
「木曽の奥地西野郷へ、行って見ようではござらぬか」
「はいはいお供いたしますとも」
 お妻は嬉しそうにそう云った。
「其方《そなた》は健気で話が面白い。同行すると愉快でござろうよ」
「まあ殿様、お世辞のよいこと」
「東馬、其方《そち》も行くのだぞ」
「は、お供いたします」
 こんな塩梅《あんばい》に二人を連れて、多四郎は福島の宿を立った。
 奥地の木曽の風景を探る。こう二人には云ったものの、その実は奥地の西野郷に、馬大尽事井上嘉門がいる。そこに巨宝があるかもしれない。有ったらそれを手に入れてと、それを目的に行くのであった。
 木曽川を渡ると渡った裾から、もう険しい山路であった。
 急ぐ必要の無い旅だったので、三人は悠々と辿って行った。

馬大尽の屋敷


 その同じ日のことであった、旅籠《はたご》尾張屋の奥の部屋で、秋山要介が源女と浪之助とへ、
「さあ出立だ。いそいで用意! 西野郷へ行くのだ、西野郷へ行くのだ!」
 急き立てるようにこう云った。
 要介は源女を取り返して以来、そうして源女と福島へ来て以来、源女の口からこういう事を聞いた、
「妾《わたくし》だんだん思い出しました。大森林、大渓谷、大きな屋敷、無数の馬、酒顛童子のような老人のいた所、そこはどうやら福島の、奥地のように思われます」と。
 それに福島へ来て以来、林蔵の[#「林蔵の」は底本では「林臓の」]乾児《こぶん》をして逸見《へんみ》多四郎の起居を、絶えず監視させていたが、それから今しがた通知があった。逸見多四郎が供二人を連れて、西野郷さして発足したと。
 そこでこんなように急き立てたのであった。
 三人は旅籠を出た。
(西野郷には馬大尽事、井上嘉門という大金持が、千頭ほどの馬を持って、蟠踞《ばんきょ》[#ルビの「ばんきょ」は底本では「はんきょ」]しているということだ。それが源女のいう所の、酒顛童子のような老人かも知れない)
 要介はそんなことを思った。
 さて三人は歩いて行く。
 西野郷は今日の三岳村と、開田村とに跨がっており、木曽川へ流れ込む黒川の流域、貝坪、古屋敷、馬橋、ヒゲ沢
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