主水は思った。
 が、直ぐに思い出されたことは、陣十郎が以前から、澄江を恋していたことであった。
(いまだに恋しているのかな)
 こう思うと不快な気持がした。
 それと同時に陣十郎の情婦? お妻のことが思い出された。
 卒然として口へ出してしまった。
「お妻殿はどうして居られることやら」
「ナニお妻?」と驚いたように、陣十郎は主水を見詰めた。


「お妻! ふふん、悪婆毒婦! あんな女も少ないよ」
 やがて陣十郎は吐き出すように云った。
 追分宿の夜の草原で、後口の悪い邂逅をした。――そのことを思い出したためであった。
「そうかなア」と主水は云ったが主水にはそう思われなかった。
 彼女の執拗なネバネバした恋慕、どこまでも自分に尽くしてくれた好意――一緒にいる中は迷惑にも、あさましいものにも思われたが、さてこうして離れて見れば、なつかしく恋しく思われるのであった。
(が、そのお妻とこの俺とが、夫婦ならぬ夫婦ぐらし、一緒に住んでいたと知ったら、陣十郎は何と思うであろう?)
 夫婦のまじわり[#「まじわり」に傍点]をしなかったといかに弁解したところで、若い女と若い男とが、一緒に住んでいたのである。清浄の生活など何で出来よう、肉体的の関係があったと、陣十郎は思うであろう――主水にはそんなように思われた。
 それが厭さに今日まで、主水は陣十郎へ明かさないのであった。
 とはいえいずれは明かさなければならない――そこで奈良井の旅籠屋でも、聞いて貰いたいことがある、云わなければならないことがあると、そういう意味のことを云ったのであった。
 似たような思いにとらえられているのが水品陣十郎その人であった。
 澄江と夫婦ならぬ夫婦ぐらし、それをして旅をさえつづけて来た。が、そう打ちあけて話したところで、肉体のまじわり[#「まじわり」に傍点]なかったと、何で主水が信じよう。暴力で思いを遂げたぐらいに、まず思うと思ってよい。
 打ち明けられぬ! 打ち明けられぬ!
 で、今だに打ち明けないのであったが、早晩は話してしまわねば、自分として心苦しい。そこでこれも奈良井の宿で、聞いて貰いたいことがある、話さねばならぬことがあると、主水に向かって云ったのであった。
 二人はしばらく黙っていた。
 互いに一句云ったばかりで、澄江について、お妻に関して、もう云おうとはしなかった。
 触れることを互いに
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