逃げるか! 忘恩の女郎《めろう》!」
そういう澄江の態度によって、心中をも見抜いた陣十郎は、可愛さ余って憎さが百倍! この心理に勃然として襲われ、いっそ未練の緒を断ってしまえ! 殺してしまえと悪鬼の本性、今ぞ現わして何たる惨虐!
「くたばり居ろう!」と大上段に、刀を振り冠り追いかけたが、その間をへだてる群集の波! が、そいつを押し分け突っ切り、近寄るや横から、
「思い知れ――ッ」と切った。
が、幸いその途端に、一頭の馬が走って来、二三の人を蹴り仆し、二人の間へ飛び込んだ。
「ワ――っ」という人々の叫び! 又二三人蹴り仆され、澄江も仆れる人のあおりで、ドッと地上に伏し転んだ。
と「お女中あぶないあぶない!」と、云い云い抱いて起こしてくれたは、旅|装束《よそおい》をした武士であった。
「あ、あ、あなたは主水様ア――ッ」
「や、や、や、や、澄江であったか――ッ」
5
抱き起こしてくれたその武士こそ、恋しい恋しい主水であった。
「主水様ア――ッ」と恥も見得もなく、群集に揉まれ揉まれながら、澄江は縋りつき抱きしめた。
「澄江! 澄江! おおおお澄江!」
思わず流れる涙であった。
涙を流し締め返し、主水はほとんど夢中の態で、
「澄江であったか、おおおお澄江で! ……昼間鍵屋の二階の欄で。……それにいたしてもよくぞ無事で! ……別れて、知らず、生死を知らず、案じていたに、よくぞ無事で……」
しかしその時群集の叫喚、巷の雑音を貫いて
「やあ汝《おのれ》は鴫澤主水《しぎさわもんど》! この陣十郎を見忘れはしまい! ……本来は汝に討たれる身! 逃げ隠れいたすこの身なれど、今はあべこべに汝を探して、返り討ちいたさんと心掛け居るわ! ……見付けて本望逃げるな主水!」と叫ぶ声が聞こえてきた。
「ナニ陣十郎? 陣十郎とな?」
かかる場合にも鴫澤主水、親の敵《かたき》の陣十郎とあっては、おろそかにならずそれどころか、討たでは置けない不倶戴天の敵!
(どこに?)と声の来た方角を見た。
馬や群集に駈けへだてられ、十数間あなたに離れてはいたが、まさしく陣十郎の姿が見えた。
が、おお何とその姿、凄く、すさまじく、鬼気陰々、悪鬼さながらであることか! ザンバラ髪! 血にまみれた全身!
ゾッとはしたが何の主水、驚こうぞ、恐れようぞ、
「妹よ、澄江よ、天の賜物、敵陣十郎を見出したるぞ!
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