にし……殺そうとしてアレアレそこへ!」
 瞬間躍り込んで来た陣十郎、
「逃げるな、毒婦、逃がしてなろうか!」
 切り付けようとするやつを、
「女を助けろ!」
「狂人を殺せ!」
「ソレ抜身を叩き落とせ!」
 ムラムラと四方からおっとり[#「おっとり」に傍点]囲み、棒や鞭を閃めかし、博労達は陣十郎へ打ってかかった。
「汝ら馬方何を知って、邪魔立ていたすか、命知らずめ!」
 揮った刀!
 首が飛んだ!
「ワ――ッ」
「切ったぞ!」
「仲間の敵!」
「逃がすな!」
「たたんでしまえ!」
「狂人め、泥棒め!」
 十、二十、三十人! ムラムラと寄せ、犇いた。
 狂奔する馬! 地に落ちて燃える、提燈《ちょうちん》、松明《たいまつ》、バ――ッと立つ火焔!
 悲鳴に続く叫喚怒号! 仆れる音、叱咤する声!
 百頭に余る馬の群が、音に驚き光に恐れ、野の方へ宿《しゅく》の方へ駈け出した。
「馬が放れたぞ――ッ」
「逃がすな、追え!」
「捕らえろ!」
「大変だ――ッ」
「人殺し――ッ」
 ほとんど狂気した陣十郎、剣鬼の本性を現わして、馬と馬方の渦巻く中を、
「お妻! どこに! 逃がそうや!」と、右往し左往し走り廻り、邪魔になる博労、馬の群を、見境いもなく切りつ薙ぎつ、追分宿の方へ走る! 走る!
 と、この時一挺の駕籠を、菅の笠に旅合羽、長脇差を揃って差し、厳重に足のかためをした、三十人あまりの博労が守り、茣蓙に包んだ金箱や駒箱、それを担いで粛々と、宿の方からやって来たが、そこへ駈け込んだ馬の群に驚き、街道を反れて野に立った。
 上尾宿に長く逗留し、夜道をかけて帰らないことには、木曽福島の納めの馬市に、間に逢わないと焦慮して、帰りを急ぐ馬大尽を守護して、高萩の猪之松とその乾児とが、同じく夜道をかけて来た。――同勢は実にそれなのであった。


「馬を放したな、馬鹿な奴だ」
 こう云ったのは猪之松で、駕籠の脇に立っていた。
「商売物を逃がすなどとは、冥利に尽きた連中で」
 駕籠の戸をあけて騒動を見ていた、井上嘉門が嘲笑うように云った。
「だから一生馬方商売、それ以上にはなれませんので。ハッハッハッ」と附け加えた。
 そこへ陣十郎が駈けて来た。
 眼が眩んでいて見境いがなかった。
 数人を切った血刀を提げ、乱れた髪、乱れた衣裳、返り血を浴びたムキ出しの脛。――そういう姿で駈けて来た。
「陣十郎だ!
前へ 次へ
全172ページ中108ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング