してあの時から今日まで、そう日数は経っていない、わし[#「わし」に傍点]の消息を知ろうとして、あの土地に居附いていたと云える。とすると木曽の福島へ、納めの市へ馬大尽ともども、猪之松が行くということや、その猪之松の賭場防ぎの、陣十郎も行くということや、陣十郎が行く以上それを追って、わし[#「わし」に傍点]が行くだろうということを、澄江は想像することが出来る。ではそのわし[#「わし」に傍点]に逢おうとして、単身でこのような土地へ来ること、あり得べからざることではない)
こんなように思われるからであった。
(あの旅籠は鍵屋とかいったはずだ。距離も大して離れてはいない。行って様子を見て来よう)
矢も楯もたまらないという心持に、主水は襲われずにいられなかった。
(が、お妻に悟られては?)
それこそ大変と案じられた。
(爾来《あれから》二人が夫婦ならぬ夫婦、妻ならぬ妻のような境遇に――そのような不満足の境遇に、お妻ほどの女が我慢しているのも、あの時以来澄江のことを、自分が口へ出そうとはせず、あの時以来澄江のことを、思っているというような様子を、行動の上にも出そうとはせず、ただひたすらにお妻の介抱を、素直に自分が受けているからで。そうでなくて迂闊にもし自分が、今も澄江を心に深く、思い恋し愛していると、口や行動に出したならば、それこそお妻は毒婦の本性を、俄然とばかり現わして、自分に害を加えようし、澄江がこの土地にいるなどと、そういうことを知ったなら、それこそお妻は情容赦なく、澄江を探し出して嬲り殺し! ――そのくらいのことはやるだろう)と、そう思われるからであった。
(澄江を確かめに行く前に、お妻が真実眠っているかどうか、それを確かめて置かなければならない)
主水は静かに床から出、お妻の方へ膝で進み、手を延ばして鼻へやった。
規則ただしいお妻の呼吸が、主水の掌《てのひら》に感じられた。
(眠っている、有難い)
で立ち上って衣裳のある方へ行った。
途端に、
「どちらへ?」と云う声がした。
ギョッとして主水は振り返った。
眼をあいたお妻が訝しそうに、主水の顔を見詰めながら、半身夜具から出していた。
「……いや……どこへも……厠へ……厠へ……」
「…………」
お妻は頷いて眼を閉じた。
で、主水は部屋から出た。
7
部屋から出て廊下へ立ったものの、寝巻姿の主水であ
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