りつかず、主水の傍らに弁三の家に、身を忍ばせて動かなかった。
 だからお妻も主水も共々、あの夜高萩の猪之松方で、澄江があやうく馬大尽によって、処女の操をけがされようとしたことや、陣十郎が澄江を助け、猪之松の乾児達を幾人か切って、逃げたということなどは知らなかった。
 しかしその中《うち》に弁三の口から、木曽の納めの馬市を目指して、馬大尽を送りかたがた、猪之松が大勢の乾児を引き連れ、木曽福島へ行くそうなと、そういうことだけは聞くことが出来た。
 それをお妻は主水に話した。
「陣十郎は賭場防ぎ、猪之松方の賭場防ぎ。で、猪之松が木曽へ行くからは、陣十郎も行くでござんしょう」
 こうお妻は附け足して云った。
「では拙者も木曽へ参って……」
 主水は意気込み発足しようと云った。
「妾もお供いたします」
 こうして旅へ出た二人であった。
(いわば敵の片割のような女、……それにもかかわらず縁は不思議、よく自分に尽くしてくれたなあ)
 お妻の寝顔を見守りながら、そう思わざるを得なかった。
(露骨に恋心を告げた日以来、自分の心が決して動かず、お妻の要求は断じて入れない、――ということを知ったものと見え、その後はお妻も自分に対して、挑発的の言動を慎み、ただ甲斐々々しく親切に、年上だけに姉かのように、尽くしてくれるばかりだったが、思えば気の毒、おろそかには思われぬ。……)
 そう主水には思われるのであった。
(それにしても先刻見かけた女、澄江に似ていたが、澄江に似ていたが……)


 とはいえ澄江がこんな土地の、あんな旅籠に一人でションボリ、佇んでいるというようなことが、有り得ようとは想像されなかった。
(あの時お妻が、留女を、突きやり、俺の手を強く引っ張って、急いで歩いて来なかったら、あの女を仔細に見ることが出来、あの女が澄江かそうでないか、ハッキリ知ることが出来たものを)
 それを妨げられて出来なかったことが、主水には残念でならなかった。
(やはり澄江であろうも知れない!)
 不意に主水にはそう思われて来た。
(上尾街道での乱闘の際、聞けば澄江は猪之松方に属した、馬方によって担がれて行き、行方知れずになったとのこと、馬方などにはずかしめ[#「はずかしめ」に傍点]られたら、烈しい彼女の気象である、それ前に舌噛んで死んだであろう、もし今日も生きて居るとすれば、処女であるに相違なく、そう
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