のであった。
(しかし澄江がこの俺が、主水を討つために木曽へ行くのだと、そう知ったら安穏では居るまいなあ)
 陣十郎はそう思い、そうとは明かさずただ漫然と、木曽への旅に澄江を引き出した。自分の邪の心持が、自分ながら厭になることがあり、
(俺は悪人だ悪人だ!)と、自己嫌忌の感情から、口の中で罵ることさえあった。
 それに反して澄江に対しては、そうとは知らずに云われるままに、義兄であり、恋人であり許婚である主水を、返り討ちにする残虐な旅へ、引き出されたことを惻々と、不愍に思わざるを得なかった。
 複雑極まる二人の旅心!
 しかし表面は二人ながら、朗かに笑い朗かに語り、宿りを重ねて行くのであった。
 さて、追分の宿へ着いた。
 四時煙を噴く浅間山の、山脈の裾に横たわっている宿場、参覲交代の大名衆が――北陸、西国、九州方の諸侯が、必ず通ることに定まっている宿、その追分は繁華な土地で、旅籠《はたご》には油屋角屋などという、なかば遊女屋を兼ねたような、堂々としたものがあり、名所には枡形があり、旧蹟には、石の風車ややらず[#「やらず」に傍点]の石碑や、そういうものがありもした。街道を一方へ辿って行けば、俚謡《うた》に詠まれている関所があり、更に一方へ辿って行けば、沓掛《くつかけ》の古風の駅《うまやじ》があった。
 旅籠には飯盛、青樓《ちゃや》にはさぼし[#「さぼし」に傍点]、そういう名称の遊女がいて、
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後供《あとども》は霞ひくなり加賀守《かがのかみ》
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 加賀金沢百万石の大名、前田侯などお通りの節には、行列蜿蜒数里に渡り、その後供など霞むほどであったが、この追分には必ず泊まり、泊まれば宿中の遊女という遊女は召されて纏頭《はな》をいただいた。
 そういう追分の鍵屋という旅籠へ、陣十郎と澄江が泊まったのは、
「お泊まりなんし、お泊まりなんし、銭が安うて飯《おまんま》が旨うて、夜具《やぐ》が可《よ》うてお給仕が別嬪、某屋《なにや》はここじゃお泊まりなんし」と、旅人を呼び立て袖を引く、留女《とめおんな》の声のかまびすしい、雀色の黄昏《たそがれ》であった。表へ向いた二階へ通された。
 旅装を解き少しくつろぎ、それから障子を細目に開けて、澄江は往来の様子を眺めた。駕籠が行き駄賃馬が通り、旅人の群が後から後から、陸続として通って行き、鈴の音、馬子
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