唄の声、その間にまじって虚無僧の吹く、尺八の音などが聞こえてきた。
 と、旅人の群に雑り、旅仕度に深編笠の、若い武士が通って行った。
「あッ」と澄江は思わず云い、あわただしく障子をあけ、身を乗り出してその武士を見た。
 肩の格好や歩き方が、恋人|主水《もんど》に似ているからであった。
 なおよくよく見定《みきわ》めようとした時、一人の留女が走り出て、その武士の袖を引いた。と、その武士と肩を並べて、これも旅姿に編笠を冠った、年増女が歩いていたが、つと[#「つと」に傍点]その間へ分けて入り、留女を押しやって、その若い武士の片手を取り、いたわる[#「いたわる」に傍点]ような格好に、ズンズン先へ歩いて行った。
 が、その拍子に若い武士が、振り返って何気なく、澄江の立っている二階の方を見た。


 黄昏ではあり笠の中は暗く、武士の顔は不明であった。
(あんな女が附いている。主水様であるはずがない)
 そう澄江には思われた。
 主水様ともあるお方が、妾以外の女を連れて、こんな所へ暢気らしく、旅するはずがあるものか――そう思われたからである。
 とはいえどうにもその武士の姿が、主水に似ていたということが、絶える暇なく主水のことを、心の奥深く思い詰めている澄江の、烈しい恋心を刺激したことは、争われない事実であって、なおうっとり[#「うっとり」に傍点]と佇んで、いつまでもいつまでも見送った。
 しかしその武士とその女との組は、旅人の群にまぎれ込み、やがて、間もなく見えなくなった。
 婢女《こおんな》の持って来た茶を飲みながら、旅日記をつけていた陣十郎が、この時澄江へ声をかけた。
「澄江殿、茶をめしあがれ」
「はい」と云ったがぼんやりしていた。
「宿場の人通り、珍らしゅうござるか」
「はい」と云ったがぼんやりしていた。
「どうなされた? 元気がござらぬな」
「…………」
「やはりお疲労《つかれ》なされたからであろう」
「…………」
「返辞もなさらぬ。アッハハ。……それゆえ拙者馬か駕籠かに、お乗りなされと申したのじゃ」
「…………」
「按摩なりと呼びましょうかな」
「いいえ。……それにしても……主水様は……」
 思わず言葉に出してしまった。
「何! 主水!」と陣十郎は、それまでは優しくいたわるように、穏やかな顔と言葉とで、機嫌よく澄江に話しかけていたが、俄然血の気を頬に漂わせ、敵の体臭
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