郎にも、ハッキリ言動で示しはしたが、それ以外には陣十郎に対して、優しく忠実にまめまめしく、尽くさねばならぬ境遇となり、義父《ちち》上の敵を討つことは、武士道の義理には相違ないが、生命――操の恩人には、人情としてそれと等なみに、尽くさなければならぬ義理があるはず、そこで澄江はそれ以来、今のような行為を執っているのであり、主水様と陣十郎殿とが巡り合い、敵討の太刀が交わされても、どうも妾には陣十郎殿に対し敵対することも出来そうもないと、心では思ってさえいるのであった。
 陣十郎の心持といえば
「この清浄無垢の白珠を、俺は誰にも穢させない!」
 この一点にとどまっていた。
 鴫澤《しぎさわ》庄右衛門を殺したのも、一つは澄江への恋心を、遮られたがためであった。敵持つ身となった原因、それが澄江であるほどの、澄江は陣十郎の恋女であった。だからその澄江を馬飼の長、嘉門如きが穢そうとする、何のむざむざ黙視出来ようぞ! そこで奪って逃げたのであり、遁れて知己《しりあい》の農家に隠匿い、今日まで二人で生活《くらし》て来る間、彼は今更に澄江という女が、女らしい優しい性質の中に、毅然として動かぬ女丈夫の気節を、堅く蔵していることを知り、愛慕の情を加えると同時に、尊敬をさえ持つようになり、暴力をもって自己の欲望などを、どうして遂げることが出来ようぞと、そう思うようになりさえした。


(澄江にとっては俺という人間、何と云っても義父の敵だ、それについてどう思っているだろう?)
 これが一番陣十郎にとっては、関心の事であらねばならず、で、絶えず心を配り、澄江の心を知ろうとした。
 と、澄江はその一事へは、決して触れようとはしなかった。
 陣十郎も触れなかった。
 さよう、互いにその一事へは、決して触れようとはしなかったが、陣十郎は自分の油断に澄江が早晩つけ[#「つけ」に傍点]込んで、寝首を掻くというような、卑劣な態度に出るということなど、澄江その人の性質から、有り得べからざることであると知り、それだけは安心することが出来、同時に澄江が義父の敵の自分に助けられたということから、義理と人情の板ばさみとなり、苦しい心的境遇に在る、そういうことを思いやり、憐愍同情の心持に、とらわれざるを得なかった。
(主水に対して澄江の心は?)
 これも実に陣十郎にとっては、重大な関心の一事であった。
(勿論澄江は心に
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