だと云われていた。内緒も裕福で有名であったが、これは金方が附いているからで、その金方が井上嘉門様だと、多くの人々は噂して居、噂は単なる噂ばかりでなく、事実それに相違なかった。
 猪之松という人間が、博徒のようになく人品高尚で、態度も上品で悠然としてい、お殿様めいたところがあり――だからどこか物々しく、厭味の所はあったけれど、起居動作はおちついている、行儀作法も法に叶っている、貴人の前へ出したところで、見劣りがしないところから、自然上流との交際が出来、そこで井上嘉門などという、大金持の大旦那に、愛顧され贔屓にされるのであった。
 金方の井上嘉門様を、ご招待するというのであるから、その物々しさも一通りでなく、上尾宿からは茶屋女の、気の利いたところを幾人か呼び、酒肴給仕に従わせ、村からも渋皮の剥けた娘――村嬢《そんじょう》の美《よ》いところを幾人か連れて来、酒宴の席へ侍らせたり、これも上尾の宿から呼んだ、常磐津《ときわず》の[#「常磐津《ときわず》の」は底本では「常盤津《ときわず》の」]女師匠や、折から同じ宿にかかっていた、江戸の芝居の役者の中、綺麗な女形の色若衆を、無理に頼んで三人ほど来させ、舞など舞わせる寸法にしてあった。
 田舎の料理は食われない――と云ったところで上尾も田舎、とは云え勿論高萩村より、いくらか都会というところから、料理は上尾からことごとく取った。
 兄弟分はいうまでもなく、主立った乾児幾十人となく、入れ代わり立ち代わり伺候して[#「伺候して」は底本では「仕候して」]、嘉門様からお流れ頂戴、お盃をいただいたりした。
 嘉門は午後《ひる》からやって来て、今は夜、夜になっても、仲々去らず、去らせようともせず、奥の座敷の酒宴の席は、涌き立つように賑わってい、高張を二張り門に立てて、砂を敷き盛砂さえした、玄関――さよう猪之松の家は、格子づくりというような、町家づくりのそれでなく、大門構え玄関附、そういった武家風の屋敷であったが、その玄関を夜になった今も、間断なく客が出入りして、ここも随分賑かであり、裏へ廻ると料理場、お勝手、ここは一層の賑かさで、その上素晴らしい好景気で、四斗樽が二つも抜いてあり、酒好きの手合いは遠慮会釈なく、冷をあおっては大口を叩き、立働きの女衆へ、洒落冗談を並べていた。
 陽気で派手でお祭り気分で、ワーッといったような雰囲気であった。
 そ
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