ているだろう。狙い撃ちにして撃ち殺し、熊なら胸を裂き肝を取り、皮を剥いで足に敷く、秩父香具師の役得だア。手練れた鉄砲にゃア狂いはねえ! 野郎来やがれ、切り込んで来い! 定九郎じゃアねえが二ツ弾、胸にくらって血へど[#「へど」に傍点]を吐き、汝それ前にくたばるぞよ! 来やアがれ――ッ」とまくし[#「まくし」に傍点]立て、まくし立てながらも手に入った早業、いつか火縄に火を付けていた。
「待て待て爺《おやじ》」と周章狼狽、陣十郎は胆を冷し、生垣の際まで後退った。
「気が短いぞ、コレ待て待て! ……鉄砲か、ウーン、こいつ敵《かな》わぬ……」
まさか撃つまい嚇しであろう、そうは思っても気味が悪く、見ればいやいや嚇しばかりでなく、こっちを睨んでいる弁三の眼に、憎悪と憤怒と敵愾心とが、火のように燃えていた。
ゾッと感ずるものがあった。
(いつぞやお妻に聞いたことがあった、いつぞやお茶ノ水の森の中で、お妻に頼まれて殺生ながら、叩っ切って殺した弁太郎という男、秩父香具師の膏薬売、弁三という老人の、失った一人の倅であると! おおそうだったこの弁三が、殺した弁太郎の父親だった。……下手人が俺だということなど、まさかに知っては居るまいが、親子の血がさせる不思議の業、この世には数々ある、何となく弁三爺の心に、俺を憎しむ心持が、深く涌いていないものでもない。もしそうなら撃つぞ本当に!)
ゾッと感ずるものがあった。
そこでいよいよ後退りし、小門の方へ後ざまに辿り、
「解った、よし裏座敷には、誰もいない、犬さえ居ない! よし解った、そうともそうとも! ……誰がいるものか、居ない居ない! ……居れば! 居れば悪いが……それもよろしい、居ない居ない! ……そこで帰る、撃つな撃つな! ええ何だ鉄砲なんど……恐ろしいものか、ちと怖いが……馬鹿!」と一喝! がその時には、既に村道へ遁れ出ていた。
生贄の女
1
同じその日のことである。――
高萩村の博徒の親分、猪之松の家は賑わっていた。
馬大尽事井上嘉門様を、ご招待して大盤振舞いをする――というので賑わっているのであった。
博徒とはいっても大親分、猪之松の家は堂々たるもので、先はお屋敷と云ってよく、土蔵二棟に離座敷、裏庭などは数奇《すき》を凝らした一流の料亭のそれのようであり、屋敷の周囲には土塀さえ巡らし、所の名主甚兵衛様より、屋敷は立派
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