りに……」
「何の彼如き鬼畜の痴者に、妹を、妹を渡してなろうか?」
「そういう男でござります。そういう男の陣十郎を、何で妾ひとりだけが……先が先ならこっちもこっち……主水様! 今は貴郎様へ!」
「それにいたしても、妹澄江は……」
「お許婚の澄江様は……」
「上尾街道のあの修羅場で、馬方博徒数名の者に、担がれ行かれたと人の噂……」
「人の噂で聞きましたなア……さあそのお許婚の澄江様……澄江様のお噂さえ出れば、眼の色変えてお騒ぎになられる」
「妹であれば当然至極!」
「可愛い可愛いお許婚なりゃ、脳乱[#「脳乱」はママ]遊ばすもごもっとも? ホ、ホ、ホ、その澄江様、どうで担いだ人間が、馬方博徒のあぶれ者なら? ……」
しかしその時表の庭の、方角にあたって云い争う、男の声が聞こえてきた。
「や、あの声は?」
「おおあの声は」
二人ながら森《しん》と耳を澄ました。
陣十郎は弁三を突きのけ、村道から境の生垣を越え、表の庭へ入って行った。
「云い古されたセリフだが、俺の遣る金鼻薬は、小判じゃアねえドスだ延金だアッハハ、驚いたか望みならば――ズバッと抜いて、先刻も云った口から腹まで、差し込んでやろうどうだ、どうだ?」
なお止める弁三を突きまくり、陣十郎はグングン歩いた。
8
「ままにしやアがれ!」
不意に弁三は、年は取っても秩父香具師――兇暴の香具師の本性を現わし、猛然と吼え競い立った。
「裏座敷にゃア誰もいねえ! とこう一旦云ったからにゃア、俺も秩父香具師の弁三だ、あくまでも居ねえで通して見せる! 汝《うぬ》は何だ、え汝は? 馬の骨か牛の骨か、どこの者とも素性の知れねえ、痩せ浪人の身分をもって『刃ノ郷』の俺らの仲間、お妻ッ娘と馴れ合ったのさえ、胸糞悪く思っているのにここら辺りを立ち廻り、博徒の用心棒、自慢にもならねえヤクザの身を、変にひけらかせ[#「ひけらかせ」に傍点]て大口を叩き、先祖代々素性正しく、定住している俺達へ、主人かのように振る舞い居る! ナニ刀だ! 抜いて切るって! おお面白い切られよう、が手前が切る前に、こっちもこっちで手前の体へ」
喚くと陣十郎へ背中を向け、庭を突っ切り縁へ駈け上り、座敷へ飛び込むと床の間にある、鳥銃を抱えて走り出で、縁に突っ立ち狙いを定めた。
「秩父の山にゃア熊や狼が、ソロソロ冬も近付いて来た、餌がねえと吼えながら、ウロウロ歩い
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